GⅠレースを勝ちながら早期の現役引退を強いられたものの、破格の高評価を受けたサンデーサイレンス産駒がいる。1頭は1994年の朝日杯3歳ステークス(GⅠ)を制したフジキセキ。もう1頭は、2001年の皐月賞(GⅠ)を制したアグネスタキオンだ。特に後者は皐月賞の勝ちっぷりから“三冠制覇は確実”との声が上がり、引退後は『幻の三冠馬』と呼ばれるまでに至った。今回は三冠を夢想させるほどの図抜けた能力を見せたアグネスタキオンの生い立ちからその死までを振り返る。
話は1970年代にさかのぼる。馬主の渡辺孝男は北海道・三石町(現・静内町)にある折手牧場で生まれた1頭の牝馬を手に入れた。父はリマンド、母イコマエイカン(父Sallymount)という血統のその馬はアグネスレディーと名付けられ、栗東トレーニング・センターにある長浜彦三郎の厩舎に預託された。
アグネスレディーは強く、丈夫だった。1978年の秋にデビューするとその年2勝を挙げ、若き日の河内洋を背に翌年の牝馬クラシックに参戦。4戦は勝ち負けから遠ざかったが、東京4歳牝馬特別(現・フローラステークス)で2着と調子を上げると、続くオークスでは2着に2馬身半差を付けて快勝した。秋には3歳限定戦時代のエリザベス女王杯で2着に入るなどの活躍を見せ、翌1980年には牡馬を相手に京都記念(秋)と朝日チャレンジカップを制覇。約2年の間に18戦を走り抜いて現役を引退、繁殖入りした。
渡英して当時のチャンピオンサイアーだった名馬ミルリーフ(Mill Reef)と種付けしたアグネスレディー(帰国後に生まれた産駒は調教中の大怪我で未出走のまま引退)。なかなか良い仔には恵まれなかったが、1987年に出産した父にロイヤルスキーを持つ6番仔は大きな輝きを放つ。この栗毛の牝駒はアグネスレディーを管理した長浜彦三郎の子息である長浜博之の厩舎に預けられ、鞍上には河内洋が招かれた。 1989年12月、デビューの新馬戦(芝1200m)で2着に10馬身(1秒6)もの差を付けて逃げ切って天賦の才を見せ付けたアグネスフローラは、翌年3月のチューリップ賞(OP)まで4連勝。続く桜花賞(GⅠ)では直線5番手から鮮やかに差し切って、母のアグネスレディーが6着に敗れた桜の冠を奪取。次走のオークス(GⅠ)は人気薄だったエイシンサニーの大駆けに遭って2着に敗れてしまい、レース後に発覚した骨折、また復帰を目指す過程で発症した屈腱炎のため現役を引退。大きな期待を背に北海道・千歳市の社台ファームで繁殖入りした。
アグネスフローラには繁殖入り1年目から次々と当時のトップサイアーが種付されたが(1番仔はサンデーサイレンス、2、3番仔はトニービン)、目立つ成績は残せなかった。しかし1997年、再び付けられたサンデーサイレンスとの間にできた4番仔(牡馬)は目覚ましい走りを見せた。名前をアグネスフライトといい、母と同じく調教師の長浜博之が手がけ、河内洋が手綱をとった。
デビューが遅れたアグネスフライトは、3歳の2月に新馬戦を勝ち上がり、次走の若葉ステークス(OP)は12着に大敗したが、続く若草ステークス(OP)、京都新聞杯(GⅢ)を快勝。45歳のベテランとなりながら日本ダービーの勝ち鞍がない河内洋は「これが最後のチャンスになるかもしれない」という迫る思いをアグネスフライトに託して大一番へと向かった。
レースは激闘となった。最後の直線、皐月賞(GⅠ)を制して臨んだ武豊騎乗のエアシャカールが先に抜け出すが、それを許すまいとアグネスフライトが猛追。兄弟弟子のジョッキー2人がお互いのプライドをかけた激烈な追い比べを展開した末、アグネスフライトがわずかにハナ差先着。17回目の挑戦でついに河内洋はダービージョッキーとなった。
それから半年後、阪神の新馬戦を快勝した栗毛の牡馬がファンと関係者をざわつかせた。同年の日本ダービー馬アグネスフライトの全弟、アグネスタキオンがその馬。もちろん管理調教師は長浜博之、手綱をとるのは河内洋である。 アグネスタキオンのデビュー戦(阪神・芝2000m)はとにかく衝撃的だった。ゲートを出たなりで7番手を進み、第3コーナーから徐々にポジションを上げながら2番手で直線へ。するとそこから凄まじい切れ味を発揮し、後続をぶっちぎって2着に3馬身半差を付けてゴールしたのだ。ほぼ“持ったまま”で繰り出した上がり3ハロンの時計は33秒8で、2位の34秒6に0秒8もの差があった。能力の高さは歴然としていた。
マスコミは早くも「来年のダービー馬だ」「兄弟でダービー制覇か」とマスコミ間は書き立てた。しかし陣営は冷静そのもの。新馬戦が終わった翌週、別件で栗東トレーニング・センターへ行った際、飛び込みで長浜博之厩舎を訪ねた。アグネスタキオンについての評価を訊いておきたかったのだ。しかし、長浜は言った。
「タキオンは、まだ単なる1勝馬や。1勝馬なんてトレセンを歩いたらごまんとおるやろ。現時点では話せることはないから、これから勝ち上がったら来てくれるか」
インタビュー取材は失敗に終わったが、その言葉の裏に隠された長浜の自信と余裕を感じ取って栗東を後にしたことを覚えている。
ファンとマスコミの大きな注目を集めながら向かった次走は、重賞のラジオたんぱ杯3歳ステークス(GⅢ、現・ホープフルステークス)だった。このレースはのちに語り継がれるほどの強豪が集結する黄金のレースとなった。単勝オッズ1.4倍の1番人気は前走のエリカ賞(500万下、現1勝クラス)で後続をぶっちぎったクロフネ。2番人気がオッズ4.5倍のアグネスタキオンで、3番人気はオッズ4.8倍のジャングルポケットだった。
三強のぶつかり合いは意外なほどにあっさりと決着がついた。クロフネとジャングルポケットが先団を進み、アグネスタキオンが中団を追走したこのレース。アグネスタキオンは直線に入るなり先に動いたクロフネを交わすと、後ろから迫ったジャングルポケットに2馬身半という決定的な差を付けて勝利を収めたのである。同馬が使った末脚は、2着のジャングルポケットの上がり時計を0秒4上回る34秒1という凄まじさだった。レース後、手綱をとった河内洋はアグネスタキオンを「次元が違う馬」と評し、長浜はクラシックで「三冠を取れる可能性がある馬」とコメントした。 翌2001年、アグネスタキオンの始動戦は弥生賞(GⅡ)となった。彼が出走を表明したことから回避馬が続出し、皐月賞(GⅠ)のトライアルレースでありながら出走頭数がわずか8頭になるという異常事態が起こった。激しく降った雨で不良馬場での開催になったが、単勝オッズ1.2倍の1番人気に推されたアグネスタキオンはこれまで以上の強さを見せ、先を行くボーンキングをあっさり交わすとそれを突き放し、ゴールでは5馬身もの差を付けていた。距離に不安なし、馬場不問、末脚の切れは世代最高。アグネスタキオンの前途には何の曇りもなかった。この時点では...。
迎えた皐月賞。断然の“一強”として降臨したアグネスタキオンは、単勝オッズ1.3倍という圧倒的な1番人気を背負ってゲートイン。レースはアグネスタキオンの強さを際立たせるだけの舞台となった。7番枠から出るとすんなり好位の5番手に付けて追走。第3コーナーからじわじわとポジションを上げると3番手で直線へ向き、あっさりと先行勢を交わす。そして後方から追い込んできたダンツフレームやジャングルポケットを寄せ付けず、1馬身半差を付けて圧勝した。
「お兄さんのダービーとは立場が違っただけに(勝てて)ホッとした」と安堵の気持ちを打ち明けた河内だったが、同時に「この馬らしい走りではなかった」と気になるコメントも残している。数字を見てみると、これまでのアグネスタキオンはすべて上がり時計で1位となっていたが、今回は2着のダンツフレームに0秒3劣る2位に甘んじていた。ただ、これが何を指し示す数字なのか、その時点では分からなかった。
日本ダービーの兄弟制覇を見据えて調整に入っていた5月2日、アグネスタキオンは左前肢の浅屈腱炎を発症していることが判明。いったん社台ファームに放牧に出されたが、その後の関係者による協議の末、引退を電撃決定。キャリアはわずか4戦。“三冠”の夢は儚く消え、社台スタリオンステーションで種牡馬入りすることになった。
その後、アグネスタキオンが下した馬のうち、ジャングルポケットは日本ダービーを、マンハッタンカフェは菊花賞を制した。その比較からも、アグネスタキオンが「幻の三冠馬」と呼ばれたことは一定の妥当性を持っていることが分かるだろう。 アグネスタキオンは種牡馬入りしてもスーパーな存在となった。初年度産駒がデビューした2005からJRAリーディングフレッシュサイアーとなり、2006年と2007年にはJRA2歳リーディングサイアーの座を獲得。そして2008年にはついにJRA総合リーディングサイアーという頂点に上り詰めた。500万円からスタートした種付料は一時1200万円まで高騰。種付頭数は2008年に230頭を数えるまでの人気を博した。
その成績の凄さは数字だけではなく、産駒の勝ち鞍にも表れている。JRAのGⅠ勝ち馬に限っても以下のラインナップとなる。
・ダイワスカーレット(有馬記念、桜花賞、秋華賞、エリザベス女王杯)
・ディープスカイ(日本ダービー、NHKマイルカップ)
・キャプテントゥーレ(皐月賞)
・ロジック(NHKマイルカップ)
・リトルアマポーラ(エリザベス女王杯)
・レーヴディソール(阪神ジュベナイルフィリーズ)
その他に、JRA重賞勝ち馬が27頭いるのだから、これは破格の成功というほかない。
しかし、好事魔多し。2009年シーズンも例年通りに調子よく種付けをこなしていたが、6月22日、そのトップサイアーは突然、命を絶たれた。死因は急性心不全。あまりにも悔やまれる11歳での早世だった。
競走生活からも、種牡馬生活からも、まるで自らの名のとおり“光の速さ”で去っていったアグネスタキオン(タキオン=Tachyon=超光速の粒子)。馬主の渡辺孝男、調教師の長浜彦三郎・博之親子、騎手の河内洋という伝説のトライアングルによって育まれた“アグネスの血脈”の到達点として、日本競馬に確かな足跡を残した。(文中敬称略)
文●三好達彦
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