最初の情報を掴んだのは結婚1年前のこと。この年のキャンプインが間近になったある夜、私は阪神の中村勝広と大阪・北新地のクラブで飲んでいた。その席で知り合ったのが別の現役選手と飲みに来ていたKという男だった。聞けば、プロ野球関係者に知人が多く、巨人のスター選手が遠征で関西に来ると、いつも飲食を共にしているらしい。いわゆるタニマチだが、そのKがこんな話を口にしたのだ。
「吉見くん、実は僕、掛布の婚約者のSの親父と友人なんだ。うん、掛布は婚約しているよ」
私はすぐに食いついた。当時の掛布は阪神の若き主砲として売り出し中で、人気は全国区となり始めていた。その掛布の結婚となれば間違いなくスクープだ。私はその場で次に会う約束を取り付けると、後日、Kを北新地の高級ふぐ店に招待した。
「式場が決まったら、ぜひ教えてください。私はこれからキャンプ取材に行きますが、帰ったらまた会ってください!」
Kは私の頼みを快諾してくれた。この時点で掛布の結婚情報はどこにも流れていなかった。身内以外は誰も知らないはずで、それならば結婚式場が決まってから確実に裏を取って記事にすればいい。そんな余裕すらあった。
「20万円超の無断ツケ」と一瞬で水泡に帰したスクープ
それから1カ月後。キャンプ取材を終えて帰阪した私を意外なものが待っていた。会社(大阪スポニチ)に行くと、例のふぐ店やスナックなどから私宛の請求書が複数枚届いていたのだ。総額20万円超。当時の大卒初任給が約10万円だから、現在なら数倍の金額に相当する。
店に連絡を入れ確認すると、キャンプ取材に行っている間、Kが知人らを連れて勝手に私のツケで飲み食いしていたらしい。そういえば、Kに大阪スポニチの私の名刺を渡していたことを思い出した。
ただ、それでも怒りや不信感はなかった。これで天下の掛布雅之の結婚スクープが取れるのなら安いものだと思っていたからだ。
その後もKとは定期的に会い、そのたびに食事や酒でもてなした。当時、スポーツ紙はプロ野球報道が花形で、私のような記者でも取材費をそれなりに使うことができた。
そして、事態は急転する。何の動きもなく’79年のシーズンが終わった11月中旬、突然、阪神が球団リリースとして掛布の婚約を発表したのだ。翌日のスポーツ紙が一斉に報じ、私の仕込んだスクープは1日で水泡に帰してしまった。
これには参った。Kから情報を取るため、かなりの取材費をつぎ込んだ。スクープできていれば取材費は落とせたが、これでは会社に請求できない。私は途方に暮れてしまった。幸い、当時の担当部長の温情もあって、なんとか飲食代は経費で落としてもらえた。
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保証人という名の罠…雪だるま式に膨れ上がった1900万円の借金
当然、Kからは何の連絡も来ていなかったが、ある日、「近況を報告したい」とKから連絡があり、こう相談を待ちかけてきた。
「今度、弁当屋の経営を始めることにした。ついては、仕事に必要な中古車を買いたいので保証人になってくれないか」
中古車の価格は50万円。掛布の件を含め、情報源として世話になっていた一面もあり、私は第3保証人になった。
ほどなくしてKと連絡が取れなくなった。姿を消したKをあちこち探し回ったが見つからず、Kの経営する中華料理店も倒産していた。Kは今に至るまで見つかっていない。それでも当時は、「保証人も第3だし、そう大事にはならないだろう」と高を括っていた。
しばらくは何もなかったが、1年ほど経ったある日、取り立て屋が私の元に乗り込んできた。サラ金からヤクザや闇金を経由した私への借金は、利息を含めて300万円強になっていた。今思えば、最初から私を騙そうとして仕組んでいたのかもしれない。
当然ながら会社は保証人の金まで面倒はみてくれない。ボーナスを前借りし、借りられる所から借りまくった。それでも追いつかず、最終的にはローンで購入したばかりの新居を売りに出し、サラ金にも手を出した。その間も利子は雪だるま式に膨らみ続け、最終的に借金は1900万円ほどに。勤めていた大阪スポニチを退社し、退職金で清算せざるを得なかった。
今なら自業自得だったことがよく分かる。この掛布の一件に限らず、当時の私はスクープを抜く快感が忘れられず、大金をつぎ込んで無謀な取材をしていたからだ。人を見る目もなかったのだろう。
後に掛布も多額の借金問題で苦しむことになったのは皮肉な話だが、プロ野球のスター選手の周りには怪しい人間が群がってくるということを思い知らされた。
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吉見健明
1946年生まれ。スポーツニッポン新聞社大阪本社報道部(プロ野球担当&副部長)を経てフリーに。法政一高で田淵幸一と正捕手を争い、法大野球部では田淵、山本浩二らと苦楽を共にした。スポニチ時代は“南海・野村監督解任”などスクープを連発した名物記者。『参謀』(森繁和著、講談社)プロデュース。著書多数。
