福岡県出身で製造業に造詣が深い実業家・澁田優一(しぶたゆういち)氏がWWSチャンネルのインタビューに応じた。
前半のインタビューでは、生い立ちから大学時代のこと、
製造業への興味からサービス業への転換までをお届けする。
澁田氏は、4月に登録者数22.4万人を誇るYouTubeチャンネル「通販の虎」に出演し、
ドバイから来た紳士といま話題になっている実業家。
この番組に対しては「志願者さんの落ち着いた感じの話し方が好きです。素晴らしいです。」など好意的なコメントも届いた。
澁田氏の過去を振り返ってみると、
東京理科大学時代は経営工学を専攻、寝ないで勉強するぐらい
ハマっていたようで、初対面の印象からも聡明な雰囲気を感じた。
「最悪、家にいればいい。実家が結構大きいので(笑)学者になるといい」とずっと言われていた裕福な環境ではあったが、
「どんどん上に行くし、上京してまさに世界に出ていく」という向上心があり、
27歳ぐらいまで仕事に就かず、世界中を旅行して、探究心が強い人生を送っていた。
現代のインフルエンサー的な単発の成功体験でなく、ストーリーを描いて人生を構築してきた印象である。
九州地方の著名な経営者としては、堀江貴文が福岡県八女市、孫正義が佐賀県鳥栖市出身で挙げられるが、
北九州には野心のある人が育つ、何かそういった土壌があるのかもしれない。
澁田優一 インタビュー:
◾️Part1.
-出身地のことから東京理科大時代まで-
Q:これまでの経歴と自己紹介をお願いします
澁田:1975年生まれで今年、51歳になりました。
生まれは福岡県でして、太宰府天満宮で名物の「梅ヶ枝餅」の粉を作ってい粉屋さんがうちの母になります。
─家柄的に商売をされていたということですね。
澁田:母方はそうですね。父方は農家で、しばらくずっと農家の息子でした。
Q:福岡で育ち、そこから東京に出てこられたのでしょうか?
澁田:19歳の時、東京理科大学に行ってですね、そこで初めて上京しました。
─理系だったのですね。
澁田:理系と文系とよくありますけど、僕の中で定義があって、文系は最後の最後で答えが自分の真ん中にある。理系は最後の最後まで自分の中の答えを信じないんです。何か別の測ったものとか、自分で調べたものがないと…要は「自分の心の声に従う」が1番ダメと思っているので。でも文系の人は、あれこれあれこれ言っても、最後の最後は自分の心に従うじゃないですか。それが良い悪いではなく、それで大成功する人もいっぱいいるし。
「俺はこれがいい!」と言ってやるやつがやはり成功することもある。それはもうただの性格の違いだなと思っています。でも、僕は本音として、自分の中にあるものを信じて動かないということがあります。
Q:理科大に行かれたきっかけは?興味のある分野は昔からありましたか?
澁田:どうでしょう。まだ高校生だったので。ただ、理科大で良かったなとめちゃくちゃ思っています。落ちてしまいましたけど東大とかに行きたかったし。でも、それでもめちゃくちゃ良くて、入学式か何かで誰かが言っていたのですが、「この大学が第1志望じゃないことは知っている。」と言われて、みんなドキッとするわけですよ。でも、「その代わり、うちの大学でしっかり頑張ったら一流大学を余裕で超えるからお前らついてこい」みたいなことを言われる。すげえな! と思いました。
─出席日数が厳しいなどですか?
澁田:出席どころじゃない、テストもレポートも厳しいです。夜中2時ぐらいまで図書館で勉強していることが普通でした。
Q:選考していたのはどのような分野でしたか?
澁田:経営工学です。その時はビジネスを経営学んでいました。経済はどちらかというと文系ですが、その文系に対して理系の数字を使ってアプローチしましょうというのが、僕の中では性に合っているかなと。
─楽しかったですか?
澁田:ものすごく楽しかったです。もう一度小さい頃からやり直しても、多分理科大に入ってよかったなと思いますね。本当にいい大学だったなって。ずっと研究していました。寝ないで勉強していましたから。
Q:卒業された後、大学院は行かれましたか?
澁田:大学を卒業する時に留学をしたいなと思って。英語も話せなかったんですけど、海外に行きたい気持ちが強くて。親に海外へ行きたいと伝えたら「行けば」みたいな感じでした。うちの父は福岡の農家なんですけど、大阪に行きたかったらしいんです。
でも、祖父に止められて大阪に行けなくて。だから僕が東京に行くことにすごく喜んでいたし。東京がダメだったら戻ればいい、東京がよかったら、自分の子供にもそうしてあげなさいと。そして、父を福岡に留まらせるために祖父がやったのは、フェアレディZを買ってあげるという特大のプレゼント。母が日産レディーだったので。その時のフェアレディZがなかったら、僕は生まれてないです(笑)
◾️Part2.
-アメリカに対する価値観からヨーロッパでの体験-
Q:澁田さんが行かれたオハイオ州立大学はアメリカですか?
澁田:はい。オハイオ州です。理科大の教授がオハイオの教授か何かをされていて、どこ行けばいいと聞いたら「オハイオに行けばいいよ」と言われて。特段何も決めず、行きました。
Q:27歳までオハイオ州立大学という経歴をお持ちですが、何歳から行かれましたか?
澁田:24歳かな。22歳から北海道へ行って、途中にフランスの大学も行きました。27歳ぐらいまで仕事をしていませんでした。
Q:アメリカには、さまざまな民族がいて、世界から人が集まっていますが、現地の方、アメリカオリジナルの方はやはり少ないのでしょうか?
澁田:逆に皆さんアメリカから離れられないし、アメリカで生きていかなきゃいけない人たちばかりなので。一生懸命ですよ、本当に。ヨーロッパは逆でしたね。ゆっくりご飯食べて、週末を楽しみ…そこは文化が全然違うのを感じました。
Q:アメリカにいた時に、起業したいと思われたのですか?
澁田:その時はまだ本当に起業したいという気は全くなくて。とにかく仕事をしたいという気持ちが強かったです。
ーやりたいことが見つかるまで勉強しようと。
澁田:はい、勉強していいよと言われていたので、ずっと勉強していました。あとは旅行ですね。200都市くらい旅行しました。
Q:アメリカを拠点に旅行されていたのですか?
澁田:ヨーロッパではフランスにも住んでいたので。フランスに住んでいた時はヨーロッパ中を旅行していました。
Q:印象に残っている国はありますか?
澁田:ベネチアとアムステルダムはすごく良かったですね。ふわっとしているのはいいなと思いました。
Q:雰囲気や景色が良かったという感じでしょうか?
澁田:安全なとこです。世界中旅行しているので降りた瞬間に分かるんです。ここ、ちょっと治安が怪しいなと。
◾️Part.3
-製造業への興味からサービス業への転換
古巣の全日空(ANA)への思い-
Q:27歳くらいまで大学に通い、日本に帰国し、そこからコンサル業やってこられたのですね?
澁田:製造業のコンサルですね。製造業が好きだったので。だからトヨタ生産方式とかめちゃくちゃ分かります。
Q:製造業に興味を持たれたきっかけはあったのでしょうか?
澁田:製造業こそが社会に対して付加価値を生むものなので、もう製造業しかないです。GDPを支えているのは製造業だし。
━国の基盤を作る、そういう業種を応援したいという思いからコンサルをされていたと。
澁田:純粋に知りたいというのもありましたね。日本の強みは製造業だったので、コンサルとして、製造業を支えていきたいという気持ちがありました。
Q:製造業のコンサルをされてからは?
澁田:製造業はだいぶ理解できたし、トヨタのことも随分学んだので、次はサービス業をやってみたいと思って。次はコンサルではなく実業でやってみたいとなった時に、トヨタは世界で最強じゃないですか。製造業でもう世界一だと思うんです。これは誰がなんと言っても。僕は否定を許さない、世界一です。
じゃあ世界最高のサービス業ってなんだろうと考えたら、エアラインだなと思ったんですね。なぜかというと、エアラインは世界で唯一同一プラットフォーム。飛行機って全部一緒じゃないですか。ボーイングを飛ばすしかないし中身も一緒。マッハ2で飛び出すこともないし、1,000人乗れる飛行機もない。世界中同じ土台で戦っている。でも、差が生まれるのはなんだろうと思ったら、オペレーションというサービス業の中身じゃないですか。
Q:日本のエアラインには、日本航空と全日空2つあると思うのですが、全日空を選ばれた理由は?
澁田:それはもう全日空しか34歳を中途で雇ってくれる大きな会社はないです。昔は30歳までが転職の限界って言われていましたので。
今ちょうどANAが話題になっていますが、
上級会員の仕組みが変わってきてまして、世界標準にやっと合わせて、サービスの内容を見直しつつあります。
Q:今の全日空の方向性について、客観的に良い悪いと感じることはありますか?
澁田:古巣なので、基本的には応援していますというベースで伝えたいと思うのですが、大きく戦略が異なっているのは感じます。JALがライフタイムっていう形で、顧客の生活圏も含めてJALで固めていくという、ロングタームで、なおかつ幅広くエアラインの枠を超えていこうというのがJALの今の戦略。一方でANA。実は僕、昔ANAの時にANA銀行を作ろうと社長にまでプレゼンしたことあったんです。でもやっぱりうちは籠屋だとずっと言っていましたね。運送業にしっかり特化しようと。それがかなり明確になってきていますよね。
そういった意味で、運送業としてブラッシュアップしていく。その中で世界標準と違うものを変えていく。国際線と国内線で予約システムが違ったのですが、今回アマデウスに全部入れ替えたり。それでおかしくなってしまいましたけど、結局あれをやらないと乗り換えができなくなってしまう。面倒なんですよね。繋がらないから。
Q:多分これまでのことを今やっと整理したのかなという感じですね。
澁田:そうですね。そういった意味では確かに脇が甘かったんだろうなとか、不具合を見ると、もう少しやれたのではと後からは言えますけど。ただ、すごく反対があっただろうなと。もう想像するに難くない状況で、システムをオペレーションに合わせるのではなく、オペレーションをシステムに合わせましょうという。会社のやり方を変えたんです。
これは、日本の企業が今まで続けたていたやり方にシステムを合わせるという最悪な状況から、いやいや、このシステムがこうだからこうしましょう、こういう風にやり方変えましょうというやり方に大きく舵を変えたので、多分社内でも大反対が出たと思うし、今こんな風にトラブっていて、きっと担当者はむちゃくちゃ言われていると思うんです。でも、その中で「やる」と決めたその決断は、僕は評価したいなと思います。やっぱ変わらなければいけないので。それがどうだったかは、もうそれを決めるのは5年後ですよね。
近日公開予定の後半のインタビューに続く。
後半では、ドバイでの体験から新規事業、香りデバイス「CROWN BAR」への思いをお届けする。

