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「あらゆる出来事が起きた年だった」名PGペイトンが“キャリア最高の年”を回想「これ以上の年なんて望めないね」<DUNKSHOOT>

「あらゆる出来事が起きた年だった」名PGペイトンが“キャリア最高の年”を回想「これ以上の年なんて望めないね」<DUNKSHOOT>

1990年代から2000年代序盤にかけて、リーグトップクラスのポイントガード(PG)として名を馳せたゲイリー・ペイトン(元シアトル・スーパーソニックスほか/現オクラホマシティ・サンダー)。7月23日に58歳となるレジェンドが、自身の“キャリア最高の年”について語った。

 NBAで17シーズンをプレーしたペイトンは、ソニックス、ミルウォーキー・バックス、ロサンゼルス・レイカーズ、ボストン・セルティックス、マイアミ・ヒートの計5球団に在籍し、通算1335試合の出場で平均16.3点、3.9リバウンド、6.7アシスト、1.83スティールを記録。

 持ち前のプレーメーキング能力に加え、巧みなスクープショットやジャンパーを駆使して得点を量産したほか、身長193cmと当時のPGでは長身だった利点を活かし、ポストアップも多用して攻撃を司った。

 オールスターとオールNBAチーム、オールディフェンシブチームにはそれぞれ9度選出。なかでもオールディフェンシブ1stチーム入り9回はNBA歴代最多タイ、1995-96シーズンにはPGとして初の最優秀守備選手賞にも輝いている。
  キャリア終盤の2006年にヒートの初優勝に貢献し、2013年にバスケットボール殿堂入り。NBA75周年記念チームにも名を連ねているように、リーグ歴代有数のPGと言っていいだろう。

 1995-96シーズン。27歳のペイトンにショーン・ケンプ、デトレフ・シュレンプらが主軸を務めたソニックスは、当時フランチャイズ史上ベストの64勝18敗(勝率78.0%/現在は2位タイ)をマーク。長年結果を出せずにいたプレーオフでもウエスタン・カンファレンスを勝ち上がり、NBAファイナル進出を果たした。

 頂上決戦ではマイケル・ジョーダン、スコッティ・ピッペン、デニス・ロッドマン擁するシカゴ・ブルズの前に2勝4敗で敗れたとはいえ、ペイトンはシリーズ平均18.0点、7.0アシストに加え、ジョーダンへのディフェンスも高く評価され、選手としての格を上げた。

 現地時間7月16日にソーシャルメディアへ公開された『NBA Take Two』のYouTube番組『Run It Back』で、ペイトンはこの1996年が自身の最高の年だったと明かした。ただ、選出の理由はNBAのシーズンのほかに、もうひとつあったようだ。「1996年は、あらゆる出来事が起きた年だったんだ。なかでもオリンピックに出場して、金メダルを獲得できたことが本当に素晴らしかった。これ以上の年なんて望めないね」

 ペイトンは96年のファイナルを戦った直後の夏にアメリカ代表入り。アトランタ・オリンピックに出場して金メダルを勝ち獲った。

“ドリームチームⅢ”と称されたチームには、チャールズ・バークレーやデイビッド・ロビンソン、レジー・ミラー、ピッペン、グラント・ヒル、シャキール・オニール、アンファニー・ハーダウェイ、カール・マローン、アキーム・オラジュワン、ジョン・ストックトンら豪華なメンバーが集結。
  このスター軍団の中でペイトンはチーム最多の平均4.5アシストに5.1点、3.1リバウンドをマークして五輪制覇に貢献。そこで得た経験は唯一無二のものだったという。

「何よりも最高だったのは、他の選手たちと築いた絆だ。(表彰式で)頭を下げ、首に金メダルをかけてもらったあの瞬間は、誇らしい気持ちでいっぱいだったよ。それに、そのすべてを家族に見てもらえたことも大きかった。二度と味わえない、特別な体験だからな」

 普段は対戦相手としてコート上で火花を散らすスーパースターたちとオリンピック期間を一緒に過ごしたことで、友情も芽生えたのだろう。間もなく30年の月日が経とうとしているが、ペイトンには鮮烈な思い出として刻み込まれているようだ。

文●秋山裕之(フリーライター)

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配信元: THE DIGEST

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