1989年春先、ポールのニューアルバム『フラワーズ・イン・ザ・ダート』の情報が流れ始めた。『プレス・トゥ・プレイ』以来、約3年ぶり。その間、『オール・ザ・ベスト』『バック・イン・ザ・USSR』はあったものの、オリジナルアルバムのリリースが3年も空いたのは、ビートルズ解散以降初めてのことで、ビートルズ時代にはもちろんない。それゆえ、『フラワーズ・イン・ザ・ダート』はファンが心から待望した作品であった。理由は3年ぶりということだけではない。少し前にリリースされたエルヴィス・コステロのアルバム『スパイク』に収められたポールとの共作曲の出来が素晴らしく、その流れでポールの新作にコステロが参加しているという情報が流れていたため、否応にもその期待が高まったのだ。時系列を正せば、その前に「ワンス・アポン・ア・ロング・アゴー」のB面に収められていた「バック・オン・マイ・フィート」も共作しているのだが。
日本盤リリース前に『夜ヒット』で新曲2曲を披露

5月、アルバムに先駆け、まず「マイ・ブレイヴ・フェイス」がシングルでリリースされた。イントロなし、いきなりコーラスで始まるアレンジは、ポール復活を告げるに相応しく、これまでのポールの作品では見られなかったビートルズ風味が感じられたことが何よりもうれしく感じられたわけだが、これはひとえにコステロ参加の賜物。ポールの甘みとコステロの苦みがうまくブレンドされた、一聴して名曲認定のシングルであった。
ビデオも秀逸だった。ビートルズ初期の貴重映像(デゾ・ホフマン・フィルム)やウイングス時代の未公開ものも含めて、ちょっとしたヒストリー・オブ・ポールになっていたことに思わずにんまり。日本人コレクターが出てくるくだりは、ポール好みの演出かなと思ったが、そこに出てくるサージェント・スーツには注目。極めつけは、演奏シーンでヘフナーのベースを弾いていることに感動で胸がいっぱいになった。
そのビデオを最初に観たのは確か、日テレ深夜に放送していた音楽番組。タイトルが思い出せないが、開局間もないJ-WAVEの『TOKIO HOT 100』のチャートをそのまま流用していたコラボ番組だった。フル尺でオンエアしてくれたので、録画したビデオを何度も繰り返し見ては、途中でインサートされる過去映像と自分の頭にインプットされているデータを照らし合わせて特定を急ぐのであった。その後、このビデオはほかのビデオクリップ番組でも頻繁に流れており、いつものようにそのたびに録画していた。それに満足してか、うっかりレコードを買いそびれてしまい、UKシングル盤を入手したのは少し時間が経ってから。ちなみにこの曲のシングルは、日本では8㎝CDシングルのみだった。
『フラワーズ・イン・ザ・ダート』の日本でのリリース日は6月14日。指折り数えて楽しみに待っていたなか、その前に『夜のヒットスタジオ』に生出演というサプライズがあった。87年11月に続く2回目の出演。ロンドンからの衛星生中継は前回同様だが、リリース前に出演ということにポール本人及びレコード会社の新作にかける並々ならぬ意気込みを感じ、当日はビデオ録画など万全の態勢を整えてテレビの前に陣取った。
この頃の『夜ヒット』の司会は古舘伊知郎と柴俊夫。稲垣潤一、荻野目洋子や野村義男、浜田麻里などの顔が見える。番組中盤、いよいよポールが登場。まず、ロンドン・トゥイッケナム・スタジオからの中継というテロップを見逃さなかった。「ここって映画『レット・イット・ビー』が撮られたスタジオじゃん!」と突っ込みを入れ、さらには服部まこの「このギターはバイオリンのようでユニークですね」というポールへの的外れな質問にも「ビートルズ時代に弾いていたバイオリンベースだよ!」と、お茶の間にいる日本中のビートルマニアと同じように二度目の突っ込みを入れた。が、トークのポイントは「ワールドツアーを予定している。日本にも行きたい」というポールの発言。これまではポールは「二度とツアーはやらない」と言っており、絶対に日本には来ないと思っていたのが、このときもしかしたら来るかも、と来日実現にほのかな期待を寄せた。
そして演奏。この日披露したのは「ディス・ワン」と「マイ・ブレイヴ・フェイス」。前者はここで初めて聞いたのだが、12弦ギターの響きが印象的な「マイ・ブレイヴ・フェイス」以上にビートリーなポップナンバーで、「これを待っていたんだ!」と満足。This OneとThis Swanというダブルミーニングの言葉遊びも粋。続く、「マイ・ブレイヴ・フェイス」はスタッフの失態で冒頭部分のコーラスがカットされてしまい、口パクがバレバレというマヌケな演奏になってしまったが、それもまたなにかとトラブルが苛まれるポールらしく、ほほえましく思えた。何はともあれ、襟足を伸ばし、バイオリンベースを持ったポールに、本気を感じたし、来日公演までにおわせてくれたのだから大満足であった。
コステロのサポートでポール復活を告げる傑作が誕生

その数日後、発売日当日に浦安のレコード屋で『フラワーズ・イン・ザ・ダート』を購入した。いつもならポールのアルバムは、日本盤の発売日に秋葉原の石丸電気、新宿の帝都無線といった繁華街までわざわざ足を伸ばして購入していたのだが、このときのわたしは就職浪人、いわばフリーターの身ゆえ肩身が狭く、遠出する気が起こらず近場にあったとくに常連でもない小さなレコード屋で済ませてしまった。
特筆すべきはこれが自分にとって初のポールのCDであったこと。87年あたりから急速に音楽メディアの主役はCDに移行していたのだが、CDに馴染めない時代遅れの私は依然レコード派を貫き、ビートルズのCD化もスルー。唯一買ったことのあるビートルルズのCDは前年出た『Ultra Rare Tracks』だった。だが、時代の流れに逆らえたのも、ここまで。『フラワーズ』はついに、CDで購入した。ちなみに『フラワーズ・イン・ザ・ダート』の日本盤のレコードは未発売だった。
『フラワーズ・イン・ザ・ダート』は、12曲中4曲をコステロの共作曲が占め、全体の骨子としてアルバム全体の基本を示している。原点回帰の「マイ・ブレイヴ・フェイス」、デュエットを聴かせるワルツ調「ユー・ウォント・ハー・トゥー」、お互いの捻くれた部分が色濃く反映された「ケアレス・ラヴに気をつけて」、ゴスペル調のバラード「ザット・デイ・イズ・ダン」。そのいずれもが、手の込んだ作りになっていて、聴きごたえは十分。ほかにも、中期ビートルズ風の「ディス・ワン」や「ブラックバード」風の弾き語り曲「プット・イット・ゼア」、スケール感の大きいバラード「モーター・オブ・ラヴ」と名曲が満載。ウイングス以来に結成したバンドとも相性のよさを感じさせた。
バラエティに富んだなかで、ウイングスぽいなと感じたのが7曲目に収録された「フィギュア・オブ・エイト」であった。アレンジこそ、デジタルの風合いをもった80年代サウンドにはなっているが、サビの「Is it better to love one another. Than to go for a walk in the dark?」の部分は「心のラブソング」あたりのスケール感があり、久々にダイナミズムを感じさせるバンドサウンドになっているなと思ったらツアーの1曲目に起用されていて納得。しかもアルバムバージョンは尺が短すぎると思っていたら、サードシングルの際にロングバケーションにアレンジされていたから、これはうれしく思ったのと同時に、ポールがライブモードになっていることをあらためて認識されたのであった。
