斎藤の道のりは、いかにも王道に見えた。早稲田実業から早稲田大学へ進み、10年ドラフト1位で北海道日本ハムファイターズに入団する。日本ハムの公式プロフィールでも、早稲田実業、早稲田大、北海道日本ハムという経歴と、10年ドラフト1位での入団が記されている。ルーキーイヤーの11年は一軍で19試合に登板し、6勝6敗、防御率2.69。数字だけ見れば、決して悪い出だしではなかった。むしろ新人投手としては、十分に期待をつなぐ内容だった。
だが、斎藤に向けられた視線は、普通の新人投手に対するものではなかった。6勝しても「物足りない」と言われる。試合を作っても「もっとできるはず」と言われる。なぜなら人々の記憶の中にいる斎藤は、甲子園で田中に投げ勝った青年だったからだ。
実際には、プロ野球は高校野球とは別世界である。打者の技術も、データの量も、球場の空気も、要求される再現性も違う。それでも世間は、あの夏の延長線上にプロでの大活躍を見たがった。
12年、斎藤はプロ2年目で開幕投手を務めた。これもまた、彼の物語性を強めた出来事だった。球団の顔として、未来のエースとして、あの甲子園の続きをプロのマウンドで見せてくれるのではないか。そんな期待が膨らんだ。
しかし、野球選手のキャリアは、物語の都合だけでは進まない。13年、斎藤は右肩を痛め、思うように投げられない時間に入っていく。のちの記事では、プロ3年目に右肩を痛め、関節唇(かんせつしん)の問題と向き合った経緯が詳しく語られている。
ここで残酷だったのは、比較対象があまりにも巨大になっていったことだ。田中はプロで勝ち星を積み上げ、楽天を日本一に導き、海を渡った。前田も広島のエースからメジャーへ進んだ。坂本は巨人のスター遊撃手となり、柳田は豪快なフルスイングで球界を席巻した。88年組は、たしかに史上最強世代の一角だった。
だが、その世代の名前を背負った男だけが、プロの中心から少しずつ遠ざかっていく。そのコントラストは、本人にとっても、見る側にとっても、あまりに苦かった。
ゴジキ:野球評論家・著作家。著書に「データで読む甲子園の怪物たち」(集英社新書)と「マネジメント術で読むプロ野球監督論」(光文社新書)ほか。発売前から重版となった最新刊「システムで読む甲子園」(カンゼン)が絶賛発売中。Yahoo!ニュースエキスパート。

