この夏の斎藤を語るうえで、まず強調すべきは、そのパフォーマンスが単なる「快投」という言葉では収まりきらない点である。06年夏の斎藤佑樹は、時代の狭間に生まれた歴史的特異点と言える。
大会を通じて、斎藤は7試合に登板し、合計69イニングを投げ抜いた。この数字だけでも、現在の感覚からすれば異常値に近い。69イニングとは、単純計算で7試合以上をほぼフルに背負ったことを意味する。多くの優勝投手が複数投手制や継投によって負荷を分散するなか、斎藤はエースとして、勝ち上がるごとに重くなる重圧と疲労を一身に受け止め続けた。
通常、投球数が増え、登板間隔が詰まり、疲労が蓄積すれば、投手の成績は落ちていく。球威は少しずつ低下し、制球は甘くなり、リリースポイントにもわずかなズレが生じる。結果として、打者にとって見極めやすい球、強くコンタクトしやすい球が増え、被安打や四死球は増加していく。これは投手を評価するうえでの基本的な前提であり、データ分析上もきわめて自然な傾向である。
しかし、この夏の斎藤は、その常識をほとんど無効化してしまった。69イニングを投げながら、許した被安打はわずか40本。9イニングあたりの被安打数に換算すると5.22本であり、これは1試合を完投しても5本程度しかヒットを許さないペースである。
しかも、それを疲労が最も蓄積する大会終盤まで維持した点にこそ、この記録の異常性がある。序盤だけ調子が良かったのではない。相手のレベルが上がり、研究も進み、自身の疲労も限界に近づくなかで、なお打者に決定的なコンタクトを許さなかったのである。
特筆すべきは、奪三振78という数字である。これは、斎藤の投球が単に「打たせて取る」タイプの安定感だけで成立していたのではないことを示している。相手にバットを振らせて凡打を積み重ねるだけでなく、必要な場面では三振を奪い、局面を断ち切る力があった。ピンチでギアを上げる、カウントを整えてから勝負球で仕留める、相手打者の狙いを外す。そうした投球の引き出しを、大会を通じて高い精度で出し続けたことが、被安打の少なさと奪三振の多さを同時に実現させた。
06年夏の斎藤の凄みは、「たくさん投げた」ことだけにあるのではない。膨大なイニングを背負いながら、なお投球の質を落とさなかった点にある。量だけなら酷使と表現されるかもしれない。質だけなら優秀な好投手として語られるかもしれない。
しかし、斎藤の場合はその両方が同時に成立していた。この総合値こそが、06年夏の斎藤を、甲子園史に残る特別な存在へと押し上げたのだ。
ゴジキ:野球評論家・著作家。著書に「データで読む甲子園の怪物たち」(集英社新書)と「マネジメント術で読むプロ野球監督論」(光文社新書)ほか。発売前から重版となった最新刊「システムで読む甲子園」(カンゼン)が絶賛発売中。Yahoo!ニュースエキスパート。

