香港から成田に戻る際、後輩が持ち込む金塊はバッグに入れたままだった。加工も偽装もない。99年の密輸グループが「タオルに包んで」持ち込んでいた手口と、本質的には変わらない。
1回あたりの運搬量は4キロ前後。当時の金価格で約1600万円分にあたる。8%の消費税分だけで、1回あたり最大約130万円の利ざやを、仲間と山分けした。
「ベルトに加工するとか、シリコンで隠すとか、そういう時代じゃなかった。税関も、怪しい見た目の人を止めるくらいのもので」
成田の税関は、まだ組織的な密輸を想定した体制にはなっていなかった。連絡はテレグラムで行われた。「節税」であってもなるべく痕跡を残さないことが暗黙の了解だった。
このスキームが続いた期間、並木が関与した密輸は約12回に及んだ。それまでの11回は、すべて成功していた。だが最後の1回で、後輩が税関に押さえられた。
「見つかったのは、やっぱり同じ人間がずっと通ってたからじゃないですかね。しかも、1泊もせずに日帰り。それだけ怪しかったんでしょう」
並木はこれを最後に手を引いた。密輸が広がれば、税関も黙ってはいない。残るはリスクだけだ。
「その少し前にSさんが、半グレだかヤクザだかに『目をつけられちゃったよ』とこぼしていたことをよく覚えています」
Sが編み出したこのスキームの噂は、時を同じくして外へ漏れ出した。はじめに半グレたちが嗅ぎつけ、この業界に入り込んできた。やがて半グレからヤクザへ。組織の介入が本格化する。
あらためて思う。
87年の漁船による金密輸から、99年の香港ルート、そして13年頃のSによる組織化まで─金密輸の系譜をたどると、そこには「一般人のシノギ」としての長い前史がある。ヤクザでも半グレでもない人間たちが、法の隙間を嗅ぎつけ、利ざやを積み重ねてきた。
Sが突出していたのは、規模でも暴力でもなく、「先行者利益」だった。弁護士を参謀に、両替所を武器に、消費税引き上げという制度変更に巣くった。
後に続いた者たちは、Sたちが切り開いた道を歩いたにすぎないのだ。次回は半グレたちを追う。
高木瑞穂(たかぎ・みずほ)ノンフィクションライター。月刊誌編集長、週刊誌記者などを経てフリーに。主に風俗や犯罪事情を取材、執筆。「売春島『最後の桃源郷』渡鹿野島ルポ」(彩図社)、「ルポ 風俗の誕生」(清談社Publico)など著書多数。

