最新エンタメ情報が満載! Merkystyle マーキースタイル
六代目山口組 進化する「極道ネットワーク」(2)田岡家の番頭が語る三代目の信念

六代目山口組 進化する「極道ネットワーク」(2)田岡家の番頭が語る三代目の信念

 山口組は長年、ヤクザ社会の「戦争と平和」の両面を主導し続けてきた。

 全国制覇を標榜していた田岡三代目率いる山口組は、横浜に傘下の先鋭部隊を進出させ「麻薬追放国土浄化同盟」の支部を開設するなど、関東組織と一触即発の緊張をもたらした。その三代目山口組が当局の「頂上作戦」によって、数次にわたる攻勢を受け、全国制覇から業界の「平和共存」へと方針を転換させ始める。それが明確になったのが、稲川会との親戚縁組だろう。

 稲川会は当時、反山口組色が濃い親睦団体「関東二十日会」に加盟していた。その稲川会が山口組との縁組みをするという事実は、ヤクザ社会に激震をもって迎えられる。田岡三代目の実子の秘書役として仕え、「田岡家の番頭」と称される名越美嗣氏が当時を振り返る。

「稲川会が山口組の東京進出に手を貸すのではないか、と関東勢が色めきたったのは当然でした。この時、田岡三代目が『もはやヤクザ同士が抗争をしている時代ではない。むしろ、山口組が縁組みすることで東西組織の平和共存の一里塚にするんや』と提唱。その構想を当時の稲川会・石井隆匡理事長が他組織を説得して、世紀の結縁が実現するんです」

 72年10月、山口組・山本健一若頭と稲川会・石井理事長、同じく山口組・益田佳於若頭補佐と稲川会・趙春樹専務理事との間で五分兄弟盃が交わされ、両組織が親戚関係を結ぶ。

「その後、若頭の山健さんが目の黒いうちは山口組傘下があからさまに東上することをさせず、関東二十日会の加盟組織と山口組との間で問題が起きることはほぼなくなったのです。田岡さんは“イケイケの山健”の異名を返上させてでも、平和への思いを本気で実現させようと願ったのではないでしょうか」(名越氏)

 この東西融和が受け継がれ、司忍六代目体制発足と同時に全国へと広がっていく。

配信元: アサ芸プラス

あなたにおすすめ