村瀬秀信氏による人気連載「死ぬ前にやっておくべきこと」。野球音源収集家のFPM中嶋をインタビュー(中編)。野球音源に対する熱い思いをたっぷり語っていただいた。
球団歌が紡いだプロ野球90年の歴史
プロ野球と音楽。その歴史は1936年、日本職業野球連盟が発足した時に、現在の阪神タイガース球団歌、通称『六甲おろし』として親しまれている大阪タイガース『阪神タイガースの歌』から始まったと言われている。1922年「日本運動協会野球歌」であり、’36年「名古屋軍応援歌」とする説もあるが、現存する最古の球団歌という意味では六甲おろしが戦前から謳われる唯一の楽曲。この3年後に巨人も同じ古関裕而の作で「野球の王者」を発表するが定着はせず。現行の「巨人軍の歌(のちの闘魂こめて)」の登場は3代目、’63年まで待たねばならなかった。
「その前にも阪急ブレーブスや南海ホークスの球団歌はありましたが、本格的な時代の幕開けは’74年の『燃えよドラゴンズ!』ですね。これは大学生の山本正之がラジオ番組に持ち込み、板東英二が歌った私歌扱いで、中日の正式な球団歌ではありません。でもⅤ9巨人を破って中日が優勝したこともあって大ヒットしたんです。板東さんに聞いたことがあるのですが、本当はもっと売れるはずだったらしいんです。この時はオイルショックでレコードの素材になる塩ビが不足していて、東宝レコードというその後、すぐに倒産する弱小レーベルから出ていたので満足に供給できなかったようです」
持ち込みから始まった『燃えよドラゴンズ!』の大ヒットは、野球界とレコード業界に大きなイノベーションを起こす。翌年、赤ヘル旋風で初優勝を果たしたカープが『それゆけカープ』(B面で『勝て勝てカープ』)を発売してこれも売れた。さらに日本ハム、大洋、ヤクルトなどなど他球団も続けて応援歌を作り始め。この時代に今の原型ともいえる12球団の応援歌というものがひと通り揃うこととなった。
「まぁそれもこれも、『プロ野球の応援歌はどうやら金になりそうだ』と気付き始めたレコード会社、特にコロムビアのおかげでもありますよね。このブームに乗って元々出ていた『巨人軍のうた』も『闘魂こめて』に改題されて再発売され、『南海ホークスの歌』も、それよりもずーっと前に南海電鉄の社内報のソノシートで作られ、関係者のみに配布されていただけのものが、新たに一般発売されたんです。でも、なぜかカセットのみなんですよ。そのまま南海はダイエーになって九州へ行ってしまったので、この『南海ホークスの歌』を7インチ盤で正式に出してもらうことも、“死ぬ前にやっておくべきこと”だとは思っています」
【死ぬ前にやっておくべきこと】アーカイブ
選手が歌っていた野球レコード隆盛の時代
プロ野球の歌が金になると分かれば、今度はチームから個へ。時代はバブル時代へと突入。選手個人がレコードを出す野球レコード隆盛の時代がやってくる。
今では俄かに信じられないが“プロ野球選手がレコードを出す”ことは、人気選手のステータスだったと言ってもいいかもしれない。
「選手個人のレコードの大元を辿っていくと、’58年の豊田泰光『男のいる街』でしょう。その後も、ポツポツと単発で江藤慎一が『銀座の恋の物語』みたいなムード歌謡を歌ったり、歌が上手くてピアノもできる阪急の岡村浩二が『夜の大阪別れ雨』を出していたりはするんです。ただ、この頃は銀座や新地で大御所から『歌うまいね。レコード出してみない?』と気に入られたノリで生まれたようなレコードですよね。これが、歌謡曲が全盛の時代になると、野球界にとどまらず、有名だったらレコードを出すことが当たり前となってくる。レコード会社もノボリ調子で余裕もあるから、企画モノが通るようになる。三億円事件が時効になる時にレコードを出してみたりね。そんな中で、プロ野球の現役選手のレコードも盛りを迎えるわけですが、最も売れたと言われる高橋慶彦の『うわさのセクシークイーン』はオリコンチャートに出てきたこともありますし、定岡正二のセカンド『ガラスの微笑み』なんてのは、アパレルとタイアップしてCMソングにもなった。定岡のレコードを入手するのはずっと後年になってからなのですが『ああ、このとき調子に乗っていたんだなぁ』と、近鉄へのトレード拒否もしみじみ理解できました。近鉄は闘将西本幸雄の思想なのか単なる需要の問題か不明ですが、12球団で唯一選手レコードを出していませんしね」
江本孟紀や原辰徳、落合博満など、当時のスター選手は人気のバロメーターかのように次々とレコードを出し、清原和博、緒方耕一、西崎幸広のような若い人気選手も「ボイスメッセージ」という形でインタビューが音源化されていく。
しかし、驕れる加藤哲郎がホームランを打たれた駒田徳広に「バーカ」と言われたバブルの終焉。景気の波と共に、プロ野球選手のレコードの企画も一気に見えなくなっていった。
「単純にバブルが弾けて、レコードを出す余力がなくなったということもですが、同時にプロ野球選手がイチローや野茂英雄のようなストイックになり、アスリート化していったことも大きいと思います。今のところ確認されている現役選手がレコードを出した例の最後となったのが、2000年3月、横浜の“大魔神”佐々木主浩がメジャー挑戦の時に小室哲哉プロデュースで出した『break new ground』でしょう」
大魔神の『WowWow』のハミングは、時代がアスリートへと変わっていく“プロ野球選手”として断末魔だったのか。そしてプロ野球音源、冬の時代がやってくる。
(後編へ続く)
「週刊実話」7月30日・8月6日号より
