野球日本代表監督に井口資仁氏が就任した。初のメジャー経験者の指揮官だ。オファーを受けた理由を「野球の発展を次世代に繋ぐこと」とキッパリ。本人も待ち侘びていたものだったことを強調した。
「今度は監督としてメダルをとりたい」
という井口監督は、2028年ロサンゼルス五輪での金メダルをミッションに掲げるが、その道は決して平坦ではない。
初陣は11月のアジア杯、そして来年には出場権をかけた「プレミア12」が待っている。アジアの出場枠はサッカー日本代表よりも少ない、わずか1枠しかない。昨年のこの大会は東京ドームで行われたにもかかわらず、台湾に0−1で完封負けを喫するなど、日本がアジアで最強とは言い難い状況にある。
現在の規則では大谷翔平らメジャーリーグ組は、この大会には出られない。その危機感の中で井口氏にオファーを出したのは、日米にまたがるリーダーシップに大きく期待しているからだ。
現役時代はダイエー(現・ソフトバンク)の主力として、王貞治監督(現・球団会長)の薫陶を受けた。
「代表監督就任を決意して、王会長にはしっかり報告しています」(ソフトバンク担当記者)
1996年のドラフトでは、逆指名制度を利用してダイエー入団。獲得に向けて巨人が一歩リードしていたが、当時指揮を執っていた長嶋茂雄氏は、
「なにがなんでも獲得したい。巨人の内野の顔になるし、いずれは監督にもなれるハートを持っている」
とフロント陣に要請していた。
「現役のキャリアを終えても、君なら監督ができる」
メジャーリーグでも、2005年に井口氏が移籍したホワイトソックスのオジー・ギーエン元監督が「現役のキャリアを終えても、君なら監督ができる」と井口氏にエールを送り続けている。そのリーダーシップに太鼓判を推しているのだ。
当時のギーエン監督は一発長打には頼らず、機動力やバント、進塁打を駆使して1点をもぎとる「スモールベースボール」を実践。その主力として井口氏を「2番・セカンド」として起用し、この年に88年ぶりとなるワールドシリーズ制覇を果たしている。
ギーエン元監督は現在、イリノイ州スポーツ局の専属解説者として活躍しており、今季加入した村上宗隆については開幕前に「あれこれいじらずに放任すれば、必ず結果を出すバッター」と提言していた。
「井口推し」の人物はもうひとりいる。野球日本代表監督の候補として再三、オファーを受けていた松井秀喜氏だ。1974年(昭和49年)生まれの元プロ野球選手らによる親睦団体「野球49年会」を2017年に発足させた。その発起人こそ井口、松井の両氏であり、2人の呼びかけに14人のOBが集まった。
井口氏によれば、松井氏とはMLB時代、病気に苦しむ子供たちがいる病院に慰問に行ったという。
野球49年会は今も継続中で、広島OBの黒田博樹氏らそうそうたるメンバーで「井口ジャパン」を支えていくはずである。
(小田龍司)

