中日ドラゴンズの元投手で、タレントなどで活躍した板東英二さんが7月22日に慢性心不全のため死去していたと、7月28日に公式サイトで発表した。86歳だった。
1940年4月生まれ、満州出身で戦後は徳島県で育った。徳島商時代にエース投手でプレーし、中日ドラゴンズに入団。1969年に引退して以降はタレント、解説者などで活躍した。
プロ野球の解説においては、新幹線沿線によってその内容が変わるというのは有名だった。球界OBが回想する。
「名古屋では中日びいきの解説をしたかと思えば、東京では同世代の長嶋茂雄、王貞治をひいきして巨人を持ち上げた。タレント業で進出した関西では、阪神をヨイショして仕事を獲得。『俺は関ヶ原を超えたら話す内容が違うんや』と豪語していました。SNSが全盛の今なら、バッシングの対象になっていたでしょうけど、それもないおおらかな時代だったということ」
とにかく中小企業の社長の知り合いがわんさかいた
テレビ関係者の間では「打ち出の小槌」と称されることも多かった。というのも、
「若くしてプロ野球を辞め、実業家としても働いていたので、とにかく中小企業の社長の知り合いがわんさかいる。そこから少しずつお金を出してもらってスポンサーを引っ張り、イベントや出演を成立させる。営業担当は『向こうからお金を運んでくれる人』とかなり重宝していました」(芸能プロ幹部)
近年は付き合いのあったメディア関係者でさえ、音信不通の状態が続いていた。
「高齢ゆえ施設に入っているという情報がずっと流れていましたが、消息不明の期間が長かったですね。つながりが深かった星野仙一さんや長嶋さんなどと、今ごろ天国で自慢のトークを披露して、再び盛り上げていると思います」(前出・球界OB)
昭和、平成のプロ野球とテレビ業界を盛り上げた、稀有な人材だった。

