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「不完全な記憶」が私たちを幸せにしている理由

「不完全な記憶」が私たちを幸せにしている理由

完全な記憶を持っていないメリットとは / Credit:Canva

記憶力は、正確であればあるほど優れていると思われがちです。

しかし人間の記憶は、過去をそのまま保存する録画装置ではありません。

人はときに失敗を実際より軽く思い出し、過去の出来事を現在の自分に合う形へ組み替えることがあります。

そして心理学研究から、こうした「不完全な記憶」が、幸福感や人間関係を支えている可能性が示されています。

アイルランドのユニバーシティ・カレッジ・コーク(UCC)の認知心理学者ジリアン・マーフィー(Gillian Murphy)教授は、記憶の不正確さを単なる欠陥として捉えるべきではないと論じています。

目次

  • 失われた記憶を「都合よく再構成した」人たち
  • 過去を正確に覚えすぎないことが、関係と心を守る

失われた記憶を「都合よく再構成した」人たち

人間の記憶は、「経験した出来事をそのまま保管し、必要なときに再生する」という仕組みで働くわけではありません。

私たちは出来事の一部を覚え、失われた部分を現在の知識や感情から補いながら、過去を組み立て直しています。

その性質をよく示しているのが、高校時代の成績に関する1996年の研究です。

この中で研究チームは、大学生99人に高校時代の成績を思い出してもらい、回答された3220件を実際の学校記録と照合しました。

その結果、A評価は89%が正確に思い出されていた一方、D評価を正しく思い出せた割合は29%にとどまりました。

しかも、間違って思い出された成績の多くは、実際よりも高い評価へと変化していました。

ただし、学生たちが嫌な成績を意識的に良い記憶へ書き換えたわけではないようです。

研究者たちは、まず何らかの理由で正確な成績の記憶が失われ、その後に生じた空白が、本人の一般的な自己像や感情的に心地よい推測によって補われたと考えています。

つまり、都合のよい記憶が事実を消したというより、事実が失われた後に、都合のよい再構成が起きたのです。

また、良い成績は本人にとって好ましいため、家族や友人に話すなど、繰り返し思い出す機会が多かった可能性があります。

普段から似たような成績を取っていた人では、「自分はだいたいAかBだった」という一般的な記憶から、個々の成績を比較的正しく推測できたとも考えられています。

こうした記憶の再構成は、単なる記憶力不足ではありません。

英国の心理学者マーティン・コンウェイ(Martin Conway)が提唱した認知モデル「自己記憶システム」では、自伝的な記憶は過去の出来事を収める倉庫ではなく、「自分はどのような人間か」という一貫した、概ね肯定的な自己像を保つ仕組みだと考えられています。

人は現在の知識や感情が変化すると、過去の記憶も現在の自分と矛盾しない形へ組み直すことがあります。

もちろん、記憶の不正確さがいつでも役立つわけではありません。

目撃証言や医療情報など、事実を正確に思い出す必要がある場面では、記憶の歪みが重大な問題につながります。

しかし、主に日常生活において、こうした記憶の柔軟さが私たちの心を支えているのは確かでしょう。

次項で、「不正確な記憶」が役立っている別の例も考慮してみましょう。

過去を正確に覚えすぎないことが、関係と心を守る

記憶の再構成は、長期的な人間関係でも確認されています。

2000年の研究では、妻たちが報告した結婚生活の評価を20年間追跡し、それぞれの時点の回答と、後から思い出したときの評価を比較しました。

その結果、満足度の高い夫婦ほど、結婚初期の関係を実際に当時報告していたよりも「今よりも悪かった」と回想する傾向が見られました。

つまり、過去が少しずつ低く再構成されることで、「関係は時間とともに良くなってきた」という改善の物語が生まれていたのです。

このような錯覚的な上昇感は、その後の結婚満足度の高さとも関連していました。

研究者たちは、こうした記憶の再構成が、長期的な関係への満足を支える一つの仕組みである可能性を示しています。

マーフィー氏は、「長い関係の中で生じた失言や小さな不満をすべて鮮明に覚えていれば、相手を許し、関係を修復することは難しくなるだろう」と指摘しています。

忘れたり、感情の強さが和らいだりすることは、ときに人間関係の摩擦を弱める緩衝材になるのです。

そして、うつのない人と比べると、うつ状態にある人では、日常的な記憶に見られる肯定的な偏りが弱い傾向も報告されています。

失敗を和らげて捉え直したり、良い経験を強く残したりする働きが弱ければ、過去には忠実であっても、幸福感や未来への希望を保ちにくくなる可能性があります。

また、数十年前の出来事まで非常に詳しく思い出せる「非常に優れた自伝的記憶」を持つ人の中には、嫌な記憶が鮮明かつ不意によみがえり、過去の出来事から気持ちを切り離しにくいと感じる人もいます。

このように、多くを正確に思い出せることと、記憶とうまく付き合えることは同じではありません。

そう考えると、スマートフォンやAIが写真、会話、行動の記録を大量に保存する現代社会のデメリットも見えてきます。

デジタル機器は、本人が思い出すつもりのなかった写真や投稿まで突然表示することがあります。

さらにAIが長年のメッセージや写真を検索し、過去の人間関係を要約するようになれば、人間が自然に作り直してきた記憶と、機械が保存した記録が食い違う場面も増えるかもしれません。

マーフィー氏は、すべてを保存し、数値化し、再表示することを当然の善と考えるのではなく、人間が持つ「忘れる」「和らげる」「再解釈する」という力についても考える必要があると述べています。

人間の記憶は、過去をそのまま残すだけの記録庫ではありません。

過去の断片を現在の自分に合わせて整理し直し、人生に意味を与える編集システムでもあります。

その不完全さは、ときに事実を歪めます。

しかし同時に、失敗から立ち直り、人との関係を保ち、未来へ進むための余白も生み出しているのです。

参考文献

The case for having an imperfect memory – a psychologist explains
https://theconversation.com/the-case-for-having-an-imperfect-memory-a-psychologist-explains-287849

元論文

Memory Bias in Long-Term Close Relationships: Consistency or Improvement?
https://doi.org/10.1177/01461672002610006

Accuracy and Distortion in Memory for High School Grades
https://doi.org/10.1111/j.1467-9280.1996.tb00372.x

ライター

矢黒尚人: ロボットやドローンといった未来技術に強い関心あり。材料工学の観点から新しい可能性を探ることが好きです。趣味は筋トレで、日々のトレーニングを通じて心身のバランスを整えています。

編集者

ナゾロジー 編集部

配信元: ナゾロジー

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