
海の頂点捕食者として知られるシャチは、海中では敵なしの存在です。
しかし、そんなシャチにも、できれば遭遇したくない相手がいるようです。
その生物とは、シャチよりも小柄な鯨類の「ヒレナガゴンドウ」。
北大西洋では、ヒレナガゴンドウの群れが現れると、シャチが進路を変えたり、高速で泳ぎ去ったりする様子が繰り返し観察されてきました。
アイスランド大学(University of Iceland)は、この現象を実地で検証してみました。
研究の詳細は2026年1月28日付で『Scientific Reports』に掲載されています。
目次
- シャチの声を聞くと、向かってくるヒレナガゴンドウ
- ヒレナガゴンドウの声を聞いただけで逃げた
シャチの声を聞くと、向かってくるヒレナガゴンドウ
多くの海洋哺乳類にとって、シャチの鳴き声は危険を知らせる警報のようなものです。
ところがヒレナガゴンドウは、シャチの声を聞いても逃げず、むしろ音源へ近づいていくことが過去の実験から分かっています。
実際の遭遇でも、ヒレナガゴンドウは大きな群れでシャチへ接近し、シャチの側がその場を離れる傾向が観察されてきました。
ときには、シャチが水面から何度も跳び出すほどの高速で逃げることもあります。

この関係が不思議なのは、ヒレナガゴンドウがシャチよりかなり小さく、ヒレナガゴンドウがシャチを直接攻撃した例も確認されていないことです。
むしろ、両者がやり合ったら、普通にシャチの方が強いはずです。
双方が同じ餌資源を奪い合っている証拠も乏しく、なぜシャチが避けるのかは分かっていません。
そこでチームは、シャチが目の前に現れたヒレナガゴンドウではなく、その鳴き声自体に反応している可能性に注目しました。
研究は2021年から2023年の夏、アイスランド南部のヴェストマン諸島周辺で実施。
8頭のシャチに吸盤式の記録装置を取り付け、泳ぐ速度や方向、潜水深度、体の動き、発声などを記録しました。
そのうえで、シャチの進行方向から500~1000メートル離れた水中スピーカーから、ヒレナガゴンドウの鳴き声や比較用の雑音などを15分間流しました。
実験は合計15回行われ、このうち8回ではヒレナガゴンドウの声が使われました。
ヒレナガゴンドウの声を聞いただけで逃げた
結果は明瞭でした。
ヒレナガゴンドウの声が流れると、シャチはゆっくりと方向を変えながら動く状態から、速く直線的に移動する状態へ切り替わりました。
移動中の平均速度は、音を再生していない時間の秒速1.5メートルから、ヒレナガゴンドウの声を再生している間には秒速2.7メートルへ上昇しました。
8頭のうち4頭は音源から離れるように明確に方向を変え、ほかの個体にも速度を上げて音源の近くを通り過ぎる反応などが見られました。
一方、比較用の雑音を流した実験では、5頭中4頭に明確な回避反応がありませんでした。
変化は泳ぐ方向や速度だけではありません。
シャチは個体同士の間隔を狭め、横に並び、同じ方向へまとまって泳ぐことが増えました。
これは、群れ全体が足並みをそろえて、その場から離れようとした可能性を示しています。
最初にはシャチの鳴き声が増える場合もありましたが、再生後には発声が大幅に減り、8例中5例ではまったく鳴かなくなりました。
チームは、最初の発声には仲間へ警戒を伝え、群れの移動を調整する役割があった可能性を挙げています。

ただし、この実験が示したのは、シャチがヒレナガゴンドウの声を潜在的な脅威として受け取り、短期的な回避反応を示すということです。
シャチが人間と同じ意味で「恐怖」を感じたことや、ヒレナガゴンドウの方が強いことまで証明されたわけではありません。
また、反応の多くは音の再生が終わると弱まり、シャチが調査海域そのものから立ち去ることもありませんでした。
なぜシャチが避けるのかについては、ヒレナガゴンドウが集団で相手を追い払う「モビングに似た行動」、大群の声による通信妨害、生息場所をめぐる競争などが候補に挙げられています。
しかし直接的な攻撃の記録はなく、決定的な説明はまだ得られていません。
海の王者に見えるシャチも、あらゆる相手と戦うわけではありません。
相手の声から接近を予測し、余計な争いが始まる前に距離を取ることも、頂点捕食者が海で生き抜くための賢い選択なのでしょう。
参考文献
There’s One Creature of The Deep That Can Scare Even Orcas Away
https://www.sciencealert.com/theres-one-creature-of-the-deep-that-can-scare-even-orcas-away
元論文
Aversive behavioural responses of killer whales to sounds of long-finned pilot whales
https://doi.org/10.1038/s41598-026-35574-7
ライター
千野 真吾: 生物学に興味のあるWebライター。普段は読書をするのが趣味で、休みの日には野鳥や動物の写真を撮っています。
編集者
ナゾロジー 編集部

