「遅れて、申し訳ありません!」
練習ウェアにラケットを抱えた姿のまま、開口一番、彼は息をはずませ頭を下げた。実際には、時計を見ても約束の時間ぴったり。遅れていたとしても、せいぜい1~2分だろう。それでも彼は、折り目正しく腰を折る。
6月に有明テニスの森で開催されていた、「KINUJO 東京有明国際オ-プン 2026」。その初戦で、第1シードの徳田廉大をフルセットの熱戦で破った後も、彼はファンからのサインや写真の求めに、丁寧に応じていた。
世界ランキング1199位の22歳。アリゾナ州立大学4年生の彼の名は、松岡修。その名から多くの人が恐らく連想する通り、彼の父親は元世界46位でウインブルドンベスト8の実績を誇る、松岡修造さんである。
「子どもの頃から色んなスポーツをやりましたが、テニスを始めたのは8~9歳の頃と遅いんです。どうやら親は、あんまり僕にテニスをさせたがらなかったみたいで……」
背筋を伸ばし、穏やかな声で、彼は自分の歩んできた道を語り始めた。
「ラグビーと水泳は、かなり真剣にやっていました。ラグビーは、いとこたちがみんなやっているんで、僕も始めたんですよ。日本代表に選ばれたこともある辻雄康は僕のいとこです。でもラグビーは、練習で激しくタックルされた時に、嫌になってやめました。水泳は、たぶん一番才能があったんだと思います。地区大会で優勝したり、東京で2位くらいまで行ったりしたので。でも、面白くはなかったんです」
成績という意味では、水泳に適性があったのかもしれない。それでも彼は、テニスを選ぶ。ただひたすらに、「一番楽しかったから」だ。
今は屈強な身体の松岡だが、子どもの頃はとても細かったという。比して身長の伸びは早かった。そのアンバランスさが、ひずみを生んだだろうか。成長期の頃には、ヒザの痛みに悩まされたという。10代前半ではヒジを痛め、1年半もの長きにわたり、テニスができない時期があった。
「ケガが治ってテニスを再開したけれど、かなり出遅れた感じになってしまって。親とは、中学生の間に全国大会に出られなかったらテニスはそこまで、という話をしていたんですが、関東大会で負けてしまった。なので、一旦は辞めようということになったんです」
15歳の時点で、一度は途切れたかに見えた、テニスの道。ただその時に、「あの方がいなかったら、今テニスはやっていなかったと思う」という恩人と出会う。父・修造氏のことも診ていた、トレーナー/治療家の松栄勲氏だ。
松栄氏は現在は望月慎太郎を担当し、先のウインブルドンでは予選から本戦4回戦へと駆け上がる望月の大躍進をもサポートした。その名トレーナーは松岡の身体を見た時、「まだまだ良くなる余地がたくさんある。本人もやる気があるのに、ここで辞めてしまうのはもったいない」と感じたという。
実際に松岡は、松栄氏に治療をしてもらい身体の使い方を教わるようになったことで、劇的にケガが回復したという。松栄氏と話すなかで、テニスを続ける選択肢として、海外に行くことも考えるようになり始めた。その意志を父の修造氏に訴え続けることで、ついに両親も納得してくれたという。アメリカのフロリダ州に渡ったのは、15歳の時だった。 渡米後は、スカラシップ(奨学金)を得て大学に進学。ただそこでは、目先の勝利を求める指導者たちの方針に疑問を感じてもいた。そこで3年後に、アリゾナ州立大学へ編入する。
「アリゾナ州立大学のテニス部のヘッドコーチとアシスタントコーチが、いずれも素晴らしい方だというのは知っていました。大学に在籍しながらATPポイントを獲得し、プロになった選手も何人か育てているので」
その名将たちの門を叩くべく移った新天地で、松岡は、自分の成長を実感できたという。
「前の大学では、しぶとく粘り強く打ち返すテニスを勧められていたのですが、アリゾナ州立大のコーチたちは、僕の先々を見てくれました。『5年後に、どんなプレーをする選手になりたいのか? そこを今から心がけて試合した方がいい』という風に言ってくれたんです。ヘッドコーチにそう言ってもらえたことで安心して、そこからは一気に自分のやりたいプレーをできるようになったんです」
今の松岡の持ち味は、190センチに迫る長身から打ち下ろすサービスとフォアの強打を生かした、スケールの大きな攻撃テニス。チャンスがあれば前に詰め、相手にプレッシャーを掛けつつボレーも決めていく。今回の東京大会で彼を見た関係者たちも、「フォアがエグい!」「サービスの質もコースもいいなぁ」と感嘆の声を上げていた。
「前の大学にいた時は、どちらかというとつなぎながら、相手のミスを待つテニス。だからいざ攻めようとなった時に、力みすぎてミスも出ていたんです。でも今は、自信を持って攻められるようになりました」と松岡は明言した。
そんな彼に、もっとも自信のあるショットや得意とするポイントパターンを尋ねると……「ドロップショットですかね」の答え。
「そこを売りにしようと思って、すごく練習しているので」
なるほど、ドロップショットのように、やや虚を突かれる返答だった。
この夏に卒業を控えた彼は、その後はプロになることを心に決めているという。
偉大な父と同じ競技、同じ職業に身を置けば、比較されることは避けられないだろう。ただその点に関しても、彼はさほど気に留める風はない。
「子どもの頃は、父が特別な人だということをあまり知りませんでした。自分も、結構ぶっ飛んでいるというか、ネジが外れている方なので」
あっけらかんと、彼は語る。ただここ数年は、テニス選手としての父の大きさを実感しているとも言った。
「高校に入った頃から、こんなに近くに、一番テニスをわかっている人がいるということに気付けたんです。そこからは、父に色々と聞くようになりました。
アドバイスが欲しい時に自分の動画を送ると、丁寧に教えてくれます。最近だと、バックハンドで迷走していた時期に、技術的なアドバイスをもらってすごく助けてもらえました」
『松岡修造の息子』として見られることにも、抵抗はないと言う。
「注目されるのは嫌いじゃない。小さい頃から目立つのは好きだったし、父のおかげで色んな方から興味を持って頂いたり応援してもらえるのは、すごくアドバンテージだと思います」
語り口の実直さにも、父の姿が重なった。
たっぷりとお話を伺ったその最後、彼は再び「本当に、今日は遅れてすみませんでした」と深く頭を下げた。
折り目正しと、本人いわく「ぶっとんでいる」という豪胆さ。その二つを併せ持つ22歳は、背筋を伸ばしプロの世界へと乗り込んでいく。
取材・文●内田暁
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