舞台「母さん、ラブソングです。」が、2026年7月31日、東京・東京芸術劇場にて開幕した。作・演出は、放送作家を引退後、舞台の世界で創作を続ける鈴木おさむ。楽曲提供に平井大を迎え、田中圭と矢崎広のふたりが、ある兄弟を演じる二人芝居だ。
田中にとって本作は、約1年ぶりの舞台となる。鈴木と田中は数々の作品をともにしてきた戦友だが、そこに加わる矢崎とは、20年近い先輩後輩の間柄でありながら共演はこれが初めて。その初タッグが、膨大なセリフ量の二人芝居で実現した。矢崎は鈴木×田中の第1作「芸人交換日記」に大きな感銘を受け、以来全作品を追いかけてきたという大ファンでもある。その思いを胸に、憧れの座組へと飛び込んだ。
物語の主人公は、落ちぶれたミュージシャンの兄・音川詩於を演じる田中圭と、その弟・音川踊楽を演じる矢崎広。舞台は、Tシャツにジーンズ姿の詩於がふらりと現れ、ある楽曲を歌い上げる場面から幕を開ける。
【写真】二人芝居で兄弟の複雑な感情をぶつけ合う田中圭と矢崎広逃げつづけてきた人生を、ひょうひょうとした態度で覆い隠しながら自分を守ってきた男・詩於。そして、そんな兄を支えてきた弟・踊楽。兄の再起をかけた話し合いのなかで、ふたりはこれまで胸の奥にしまい込んできた感情を、少しずつ吐き出していく。
兄弟だから、家族だからといって、すべてをさらけ出して生きているわけではない。長年言えずに抱えてきた愛情、妬み、そこから生まれる憎悪、そんな感情を抱いたこと自体への後悔。ないまぜの感情が、生々しくもまっすぐなセリフとともに舞台上をさまよい、やがて極限までたまって爆発する。鈴木おさむの書いた物語の力が、客席をぐっと引き込んでいく。
鈴木の脚本は、田中と矢崎が役者として持つものすべてを、さらけ出させたいと望んでいるかのようだ。取り繕ってきた仮面がポロポロと剥がれ落ちていく詩於のさまを、田中は痛々しさと生々しさをもって表現する。
一方の矢崎は、弟・踊楽がずっと抱えてきた兄と母への複雑な思い、そして母に必要とされたいという健気さを、まっすぐな熱量で立ち上げていく。兄弟の本音が真正面から衝突する構図は、そのまま2人の役者の本気のぶつかり合いでもあり、まさに二人芝居ならではの迫力と見応えを生み出していた。
舞台上には兄弟ふたりしか登場しない。だが、タイトルにあるとおり、その物語の鍵を握るのは母親の存在だ。母が息子たちに向ける愛情は、彼らにとってエールにもなれば、その愛自体が足かせにもなる。
愛情があるがゆえに、見えないところで絡まってしまっていた親子、そして兄弟の関係性を、本作はひとつずつ感情の吐露とともに解きほぐしていく。ミュージシャンとして、ラブソングだけはどうしても書けなかった詩於は、弟との衝突を通して自分自身と向き合い、どんな答えにたどり着くのか。
家族のほろ苦さ、ままならなさは、きっと形は違えど、誰もがどこかで共感できるものだろう。母を通して、逃げてきた家族や罪悪感と向き合うこの物語は、ともすると悲劇的な重さを帯びかねない。
それでも、2人の芝居は胸にずしりと迫りながら、決してウェットになりすぎず、観る者が爽やかな気持ちで最後に物語を振り返ることができる。そこには、鈴木の脚本の見事なバランス感覚がある。観劇後、ふと家族の顔が浮かぶような、温かさの残る作品だ。そして最後に劇場を包み込む田中の歌声と、その歌そのものの素晴らしさは、ぜひ劇場で確かめてほしい。
初日のゲネプロを終え、田中、矢崎、そして作・演出の鈴木が挨拶に立った。
田中は「矢崎くんと2人で、そしておさむさんとスタッフの皆さんと信頼し合って、この後いよいよ本番です。逃げ場がないので、お互いを信頼して思いっきりやるだけです」と、二人芝居への覚悟をにじませた。
1年ぶりに芝居に臨む心境を問われると、「あまり意識はしていないつもりでしたが、めっちゃ緊張しました」とあっけらかんと笑ってみせ、「2人ともお互いに見合って、繋げていけた。それはすごくよかった」と充実した表情を見せた。
矢崎は「本当に激しい稽古をしてきました。稽古3日目にはおさむさんが『通そう』と言うんです。田中さんもすでにセリフを入れていて、そのすごさに背中を見ながら必死に食らいついてきました。その成果を見せていきたい」と、先輩に追いつこうと駆け抜けた日々を振り返った。
鈴木は本作に込めた思いを語る。田中の母が亡くなる前に、2人がタッグを組んだ舞台「僕だってヒーローになりたかった」を観て、喜んでくれたのだという。
鈴木は「それ以来、いつか母と向き合う物語を作ってみたいとずっと思っていました。主役は2人ですが、僕の中での主役はお母さん。今日観てくれた皆さんの頭の中に、いろんなお母さんが浮かんだらいいなと思っています」と述べ、平井大が脚本を読んで書き下ろした楽曲への期待も語った。
最後に田中は「最後までみんなで感動を届けたい。後半にはさらに進化した僕たちが見られると思います」と来場を呼びかけた。
東京公演は8月16日まで東京芸術劇場プレイハウスで上演。その後、仙台、名古屋、長野・上田、大阪を巡る。
レポート:双海しお/撮影:岸隆子

