若き日は労働法や社会保障政策を掲げ、民主的な指導者として国民の期待を背負ったものの、その後は独裁者として君臨。権力と金に溺れた人間の醜悪な末路を自国民にこれでもかと見せつけたのが、キューバのフルヘンシオ・バティスタ大統領だった。
軍曹からクーデターで頭角を現し、1940年に大統領に就任したバティスタは、第二次世界大戦後にアメリカへ一時亡命。1952年に再び軍事クーデターを断行し、実権を奪還した。
だが、2度目の復権を果たしたバティスタが手を握ったのは、あろうことか、アメリカ資本と、全米の暗黒街を牛耳るマフィアだった。
バティスタはアメリカの「ユダヤ系マフィアの頭脳」と言われたマイヤー・ランスキーらをキューバに招き入れ、高級ホテルや巨大カジノ、ナイトクラブを次々に建設。首都ハバナを一大ギャンブルリゾートへと変貌させ、マフィアに賭博やナイトクラブの独占権を安売りする見返りとして、巨額の賄賂やキックバックを受け取った。
その結果、華やかな表舞台の裏では、この男による国富の徹底的な切り売りと私腹肥やしが公然と行われることに。ギャングたちがハバナを「合法的な犯罪帝国」として謳歌する一方、キューバの労働者やサトウキビ農家を営む庶民らは、深刻な貧困とインフレに喘ぐことになるのである。
激怒した市民はマフィアが建てたカジノを破壊
だが、マフィアとの癒着と多額の公金横領によって築かれた砂上の楼閣が、長続きするはずもなかった。やがて若き弁護士フィデル・カストロらが率いる「7月26日運動」によるゲリラ戦が激化。腐敗しきった政府軍の士気低下は著しく、いくらアメリカから潤沢な兵器を与えられても、民衆の圧倒的な支持を得る革命軍の前に、なすすべなく敗走することとなった。
そして迎えた1958年の大晦日。ハバナ市内の軍施設で新年祝賀パーティーに興じていたバティスタは、革命軍が首都へ迫るや否や、突如として辞任を表明。日付が変わった翌1959年元日未明に家族を伴い、そそくさと飛行機に飛び乗ると、一目散に母国を脱出した。しかも巨額の不正蓄財を抱えての逃亡とあって、首都に残された市民は大激怒し、マフィアが建てたカジノを破壊。独裁者が去った街で怒りを爆発させたのだった。
その後、バティスタはドミニカ共和国やポルトガルを経てスペインへと渡り、悠々自適の亡命生活を送ったとされるが、家族間では遺産をめぐる泥沼の争いや困窮が伝えられるなど、その晩年は決して栄光に満ちたものではなかったようだ。
私欲の限りを尽くしたあげくに国外逃亡へと追い込まれたバティスタの歴史は、権力を私物化した独裁者がたどる必然の結末を、今なお生々しく物語っている。
(山川敦司)

