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吉田正男と桑田真澄が「14勝」で並ぶ 夏の甲子園・個人最多勝記録の裏側【夏の甲子園不滅の記録④】

吉田正男と桑田真澄が「14勝」で並ぶ 夏の甲子園・個人最多勝記録の裏側【夏の甲子園不滅の記録④】

画像はAIで生成したイメージ

8月5日、今年も夏の甲子園が幕を開けるたが、47都道府県の球児たちが全国制覇を目指して競い合う中、ふと思い浮かぶのは、この大会の個人通算最多勝記録を分かち合う2人の鉄腕投手のことだ。中京商(現・中京大中京=愛知)の吉田正男と、PL学園(大阪)の桑田真澄――時代も環境もまったく異なる2人が、ともに夏の甲子園という大舞台で打ち立てた「14勝」という記録が並んでいるのだ。

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顔面縫合してもマウンドへ——吉田正男の3連覇伝説

吉田正男が甲子園に初めて登場したのは、1931年(昭和6年)夏のことだ。当時の高校は5年制で、3年生から出場した吉田は以後6季連続で甲子園に出場。1931年夏から1933年夏にかけて夏3連覇を達成し、14勝という数字を積み上げた。春夏通算では23勝3敗という空前絶後の成績も残しているが、夏の大会だけで14勝というのは凄まじい集中力の産物である。

最大の見せ場といえるのは、1933年夏、3連覇を懸けた大会の浪華商業(大阪)戦だろう。3回裏の守備中、吉田はセンターからの返球を顔面に受け、左まぶたを切った。試合を30分中断し、医務室で3針縫った後、ふたたびマウンドに立ち3対2で逃げ切った。

また、準決勝では、ライバル明石中学との間で甲子園史に残る死闘が繰り広げられた。試合は延長25回に及び、吉田は336球を投げ切った。試合後に「明日の決勝では投げるのですか」と尋ねる記者に、「明日はまた明日ですよ。今夜ぐっすり寝てみたら何とかなりましょう」と言ってのけた。翌日の決勝も被安打2、失点1に抑えて優勝。その右腕には「不思議な神通力」が宿っていると称えられた。

六大学時代の吉田。左から2番目

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1年生で池田を完封——桑田真澄の5季連続制覇

一方、その半世紀後、夏の甲子園に同じ「14勝」の足跡を刻んだのが桑田真澄だ。1983年夏、1年生で背番号「11」ながら事実上のエースとして出場した桑田は、史上初の夏春夏3連覇を目指す「やまびこ打線」の池田高校を準決勝で7対0と完封。決勝では横浜商を3対0で下し、学制改革以降最年少(15歳)の優勝投手となった。

大阪という高校野球激戦区から、出場可能な5回すべてに甲子園へ乗り込んだ桑田は、4度決勝に進出し2度優勝。春夏通算20勝3敗という学制改革後最多記録を打ち立てた。

2年生で迎えた1984年夏の決勝、相手は取手二高(茨城)だった。この大会でも桑田はほぼひとりで投げ、防御率1.07と完璧な内容だった。前日の準決勝では1点を追う8回に逆転2ランを放つなど投打に君臨していた。

しかし延長10回、取手二が4点を加えて8対4で逆転初優勝。無敵に見えた桑田も人間だった——その敗北さえもが、のちにプロで173勝を挙げる投手の糧となった。

時代を超えて並立するこの14勝という数字は、単なる記録の羅列ではない。顔を縫いながら延長25回を投げ抜いた昭和の鉄腕と、15歳で全国を制した平成の天才が、それぞれの甲子園で燃やした炎の総量だともいえるのだ。

【夏の甲子園不滅の記録⑤】に続く

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配信元: 週刊実話WEB

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