「それからは、関係各所へのご説明とお詫びに奔走しました。最初の3カ月は、身を隠せる場所も提供しました。損害賠償金については、ご両親も事務所に来て『そんな金額は払えない』と、健太郎と一緒になって涙を流されたんです。金額が金額なので、弁護士たちとも相談して、僕自身も熟慮しました。そして、健太郎ならもう一度仕事で信頼を積み重ね、いずれ責任を果たして返済してくれると信じたから『わかりました。損害賠償金はうちが立て替えます』と言ったんです」(馬淵氏)
各メディアから引っ張りだこだった伊藤は、CMや映画、舞台、ドラマ、バラエティー番組、雑誌など多方面で活躍していたため、旧所属事務所は関係各所への謝罪から始まり、損害賠償や実費の負担など、多岐にわたる対応を余儀なくされた。
不起訴になったとはいえ、伊藤は無期限の謹慎中。回収はままならない。ようやく21年6月に伊藤の復帰と同時にファンクラブを立ち上げ、まずは彼を応援するファンたちと向き合い、地道に信頼回復に努めた。その積み重ねが徐々に実を結び、3年間で約4000万円の返済に繋がったという。
「4000万円なんて、簡単に返せる金額ではないですよね」(馬淵氏)
旧所属事務所は「健太郎ならいつか絶対責任を果たしてくれる」と信じ、再起に向けた歩みを支え続けた。
伊藤の俳優活動は再び軌道に乗り、23年に公開された映画「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」(松竹)では日本アカデミー賞の優秀助演男優賞を受賞。翌24年秋からのNHK大河ドラマ「光る君へ」の出演も決まった。
「仕事のオファーはすべてが事務所の力によるものではなかったかもしれませんが、全力で支えてきたつもりです。そんな時、年が明けた24年に、健太郎の移籍話が外部から入ってきました。驚いて本人に確認したら『100%ないです』と。ところが、徐々に『やっぱり辞めたい』と言い出したんです。だから『責任を果たしてからだろう』と、これだけは強く言いました」
移籍先となるトライストーンで伊藤の後ろ盾となるのは、同社の山本又一朗会長だった。馬淵氏、山本氏に、伊藤本人と両親、弁護士も交えて話し合いの場が持たれたという。
「残念ではありますが、責任を果たしていただけたら、僕は移籍についてどうこう文句を言うつもりはありません」
馬淵氏が主張したかったことはそれに尽きたが、話は平行線をたどったようである。
「うちの弁護士が山本氏に『移籍させるのであれば、あなたが立て替えれば済むことじゃないですか?』と提案をしましたが、結果的に『それは健太郎個人の問題だから、本人とイマージュで話し合ってくれ』と言われました」(馬淵氏)
ついには借金の整理がつかないまま、伊藤の移籍話だけが着々と進行、正式にトライストーンの所属となった。その後の華々しい活躍は周知の通りである。

