佐々木敦規、59歳。
大学在学中から制作会社のADとしてテレビ番組制作に携わってきた。ディレクターに昇格すると、フジテレビで料理番組、K-1格闘技中継、バラエティー、ドキュメンタリー、情報番組なども担当した。
転機となったのは「アイドル道」(CSフジテレビ721)でアイドル育成バラエティーを手掛けた時。佐々木はこの現場で当時、沢尻エリカのマネージャーだった川上アキラと出会う。2人には共通点が多く、すぐに意気投合した。
「彼はめちゃめちゃテレビっ子で、ドリフ(ザ・ドリフターズ)で育ってプロレス大好き。話してすぐに相性がいいとわかりました」
番組は2年間で終わり、その後、2人に接点はなかったが、それから7年後の2010年、突然、川上から連絡が来た。ももクロ初のホールコンサート、同年12月の日本青年館ライブの演出オファーだった。佐々木は困惑した。
「ずっとテレビ番組を作ってきたけど、ライブ演出は未経験でした。そうしたら、川上さんは『ももクロは佐々木さんが「アイドル道」でやってたような、こっちのフィールドに来させるアイドルにしたいんだ』と言うんですよ」
川上が思考していたももクロのイメージは、「アイドル、アイドルしていないアイドル」だった。
「『アイドル道』は当初、アイドル大好きなフジテレビのプロデューサーからのオファーでした。当時の僕は『とんねるずのみなさんのおかげでした』のディレクターとして、TVバラエティーのど真ん中にいました。そんな僕が『アイドルはまったくわからないですよ』と渋ったら、プロデューサーは『佐々木さんの思うアイドル番組でいいです』と言ってくれた。それで『僕の好きなようにやっていいならやらせてください』とOKしました」
佐々木はM-1優勝前のアンタッチャブルをMCに据えて、まだ無名の中川翔子、北乃きい、沢尻エリカ、紗栄子らにチアリーディング、寝起きドッキリ、水泳大会などに挑戦させて“王道バラエティー”の基礎を叩き込んだ。
「当時のアイドル番組は、めちゃめちゃアイドルに寄せた、アイドルファンしか見られないものばかり。僕は『お笑いファンも楽しめるアイドル番組』を打ち出したんです。アイドル側のフレームに飛び込むのではなくて、『俺らバラエティー班にお前らアイドルは喰らいついてこいよ』と」
佐々木は秋葉原のライブハウスに足を運び、ももクロのライブを観た。ほぼ段差のない小さなステージで、汗だくになって全力で歌い踊るメンバーのパフォーマンスに感動し、佐々木は川上にこう問いかけた。
「僕はアイドルのことはわからないし、音楽は大好きだけどライブ演出は一度もやったことがない。それでもいいですか?」
と聞くと、川上は、
「佐々木さんが思ったことをやってください」
この言葉に佐々木は決意を固めた。
「やらせていただくからには、自分の引き出しでできることは全部やろう。彼女たちの最高の笑顔と、汗と全力のパフォーマンスで十分だけど、そこに僕の武器の『ドリフとプロレスと格闘技』を乗っけて最高の化学反応を起こしてやろう」
まず佐々木が持ち込んだのが格闘技でおなじみ、試合前の“煽りV”だった。対戦相手との関係性をドラマティックに演出する手法だ。
ももクロのライブ前に、これまでの彼女たちのストーリーを振り返り、ライブへの期待感を煽っていく。
さらに、佐々木の人脈でプロレスラーの武藤敬司や天龍源一郎、K-1グランプリ前には優勝候補アリスター・オーフレイムとももクロを絡ませ、決勝戦のハーフタイムショーにも出演させた。さらにライブのゲストに加藤茶を呼び、「ひげダンス」の共演も実現。
「このおかげで、アイドルに関心のなかったプロレス・格闘技やお笑いのファンが、ももクロを見て『なんだこの子たち?』と興味を持ってネットで調べてくれて、会場にも来てくれました。芸人やタレントで『モノノフ』(ももクロの熱狂的ファンの称号)を公言する人も増えて、ファン層の広がりを感じました」
佐々木敦規(ささき・あつのり)1967年生まれ。演出家・映像ディレクター。フィルムデザインワークス取締役。「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ!!」「とんねるずのみなさんのおかげでした」「IPPON GP」などのバラエティー、K-1やプロレスなど格闘技番組の演出を経て、ももクロのステージ演出を手掛ける。
取材・構成/茂田浩司(ライター&編集者)

