スキームは、こうだ。
まず日本国内でカネを集める。それを香港へハンドキャリーで持ち込む。100万円以上の現金を海外に持ち出す際は申告が必要だが、当時のチェックは緩かった。
リファイナリーから金を仕入れ、4〜5人の運び屋に分配し、それぞれ日本へ飛ばす。日本でレシーブした金を御徒町の買取業者で換金し、その現金をまた香港へハンドキャリーで持ち帰る。そのカネでまた金を買い、次の運び屋に持たせる。
「週2回、金は1回約20キロ。それをひたすら回し続けるんですよ」
1キロあたりの利益は当時のレートで約30万円。20キロで600万円。それが週2回ともなれば、月に何千万円という規模になる。最盛期には1日に60〜70キロを動かした。
チームは5〜6人で動いた。香港側に仕入れを担うMたち、日本側に現金を集める資金調達役、実際に金塊を体に忍ばせて空港を通る運び屋、そしてグループを監視・管理する監視役。
さらにチームの外側に出資者がいた。資金を提供した見返りとして、月利5〜7%の利回りが支払われた。
出資者の一人は言う。
「マンション投資の年利が5%前後の時代に、平均6%の利回りです。それが月利ですからほんと、オイシかった」
出資者にとってはリスクが低く利回りが高い「投資案件」だった。中には密輸と知らずにカネを出した者も少なくなかった。
換金場所は御徒町だった。金の買取業者が集積する、日本最大の貴金属市場だ。
密輸された金が大量に流れ込むようになり、グレーであっても商売になるとわかると、業者たちは競うように買取価格を引き上げた。路上でチラシを配り、「田中貴金属より何円高く買う」と声をかけた。金の買取価格の基準となる三菱マテリアルや田中貴金属の公表レートに、各業者がプラスアルファを乗せて客を奪い合ったのだ。
当初は正規の買取業者が密輸の金を受け入れていたが、規制強化と本人確認の義務化が進むにつれ、正規ルートでは換金しにくくなっていった。
代わりに台頭したのが「相対屋(あいたいや)」と呼ばれる闇の換金窓口だ。近年、上野や羽田で金密輸グループの現金運搬を狙った巨額強奪事件が相次いでいる。誰がいつどこで現金を運ぶか─その情報を握っているのは、取引の内側にいる者だけだ。相対屋はまさにその「内側」に位置する。その実態については、次回以降に詳述したい。
高木瑞穂(たかぎ・みずほ)ノンフィクションライター。月刊誌編集長、週刊誌記者などを経てフリーに。主に風俗や犯罪事情を取材、執筆。「売春島『最後の桃源郷』渡鹿野島ルポ」(彩図社)、「ルポ 風俗の誕生」(清談社Publico)など著書多数。

