ナチス・ドイツの断罪以来、半世紀ぶりに「人道に対する罪」で国際法廷の被告人となった男がいる。ユーゴスラビア解体の波の中で「大セルビア主義」を掲げ、隣人同士を血みどろの殺し合いへと駆り立てたセルビア共和国初代大統領、スロボダン・ミロシェヴィッチである。
冷戦終結後の世界を恐怖と混乱に陥れたこの独裁者は1941年、セルビア東部の町ポジャレヴァツで生まれた。父親は家族を捨てて出奔、母親と伯父は揃って自殺するという壮絶な幼少期を過ごすことになる。そんな少年が孤独と絶望の中ですがりついたのが、共産主義のイデオロギーだった。
ベオグラード大学法学部を卒業後、ガス会社や銀行の要職を歴任。エリート官僚として権力の階段を駆け上がったこの男の転換点となったのが、1987年のコソボ訪問時の演説だった。
アルバニア系住民から迫害されるセルビア人らを前に、
「もはや誰もあなたたちを叩くことは許されない」
そう熱狂的に訴えた彼は民族主義を巧みに利用すると1989年、セルビア共和国大統領に就任。そして断行されたのが、スロベニアやクロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナの独立運動に対する、容赦ない軍事介入だった。
それは実質的な紛争にとどまらず、組織的な虐殺、暴行、そして「民族浄化」という名の下で行われたレイプ。しかもこの男は毎日、治安機関からの報告に目を通し、情報機関を総動員して政敵や民主化運動を弾圧していたというのだから…。
とりわけ1995年7月に勃発した通称「スレブレニツァの虐殺」では、セルビア人勢力が約8000人ものボスニア人を殺害したとされ、翌年のコソボ紛争でも1万人以上の死者を出し、セルビアは国際的な非難を受けることになる。
大統領選での不正選挙で失脚して身柄を拘束
そんなミロシェヴィッチの狂気を陰で支えたのが、大学時代からの伴侶で、強権的な政治思想を持った妻ミリヤナ・マルコヴィッチだった。
だが、夫婦が二人三脚で築き上げた権勢も、やがて終わりの時を迎える。2000年秋、大統領選での不正選挙で失脚したミロシェヴィッチが翌年に身柄を拘束され、オランダ・ハーグの国際刑事裁判所へと移送されることに。
独裁者の多くがそうであるように、往生際の悪いこの男は法廷で無罪を主張し続け、公判の長期化で判決が出ないまま2006年3月、収監先の独房で心臓発作により帰らぬ人になった。64歳だった。
戦後ヨーロッパ最大の惨劇を引き起こしながらも、最後まで自らの罪を認めなかったミロシェヴィッチ。撒き散らした憎悪の種は今なお、バルカン半島の歴史に深い傷痕を残している。
(山川敦司)

