お盆の帰省ラッシュや旅先でスリの被害に遭遇した話をよく聞くが、江戸時代に歴史的な名人と呼ばれた人物がいる。文化、華やかな元禄、宝永年間(1700年代)に実在した坊主小兵衛だ。
なにもスキンヘッドだったから「坊主」のニックネームがついたわけではない。糸鬢(いとびん)と呼ばれるサイドの髪の毛をごく細く残し、パッと見は坊主頭のようだったことから、この名がつけられた。
この男、面は割れている有名人にもかかわらず、悠々と町を徘徊できていた。というのも、当時の警察組織である町奉行所と完全に癒着していたからだ。南町奉行所の同心目付役であった加賀山権兵衛という役人に非常に気に入られ、裏で庇護を受けていたと伝えられている。
巾着切りと呼ばれるスリを働きながら、情報屋として奉行所に裏情報を流していたという。自分だけでなく、役人が他のスリを見逃す代わりに、凶盗や殺人犯の居場所を密告していた、今でいう警察のSだ。まさに蛇の道は蛇である。
得意技は刃物で紐を切る「巾着切り」だった
小兵衛の時代は生活が豊かになり、人々は懐や腰に「巾着(財布)」をブラ下げて出歩くようになっていた。そのため、 人混みで他人の懐に手を滑り込ませる「袂(たもと)さがし」、腰から巾着を外す「腰銭はずし」が横行するようになっていたが、彼の得意技は刃物で紐を切る「巾着切り」だった。
当時は10両盗めば首が飛ぶといわれていたが、スリは見つかっても「敲き(たたき=ムチ打ち)の上、江戸から追放(門前払い)」という比較的軽い罪だった。
ところが小兵衛らの影響でスリが江戸中に爆発的に流行したため、後の延享4年(1747年)には刑罰が強化されている。初犯で入れ墨、再犯(4回目など)となると死罪」という非常に厳しい刑罰が科せらるようになったのだ。
小兵衛法はその鮮やかな手口と、役人を後ろ盾に持つ不敵なキャラクターが当時の江戸町民の間で人気を博した。同じ元禄時代に活躍した有名な俳人・水間其角(みずまきかく)は、自身の句集「五元集」の中で「坊主小兵衛」の名を詠み込んでいる。浮世絵にもなるなど、小兵衛はまさに江戸のダークヒーローだった。
(道嶋慶)

