明日への一歩を応援する「Do My Best, Go!」。今回は2021年夏の東京五輪、2024年のパリ五輪に連続出場し、後者では個人6位入賞を果たしたトランポリン日本人第一人者の森ひかるさんが登場。トランポリンを始めたきっかけやこれまでのキャリアの転機、2度の五輪までの道のり、今後の目標、そしてアスリートの食生活まで幅広く語ってくれた。
――森さんがトランポリンと出会ったのは4歳の時だったそうですね。
はい。近くのスーパーの屋上にトランポリンがあって、お母さんの買い物について行くとトランポリンを飛ばせてもらえました。それが最初ですね。
――そこから競技として本格的に取り組むようになったのは?
足立区はトランポリンが盛んな地域で、教室もいくつかあって、兄2人と一緒に通うようになりました。最初から宙返りとかやっていたわけではなくて、座る・立つ・足を抱えて飛ぶといった基本的な動きから始めました。それがひねり技とか宙返りにもつながってくるので、まずは基本を重点的に習っていた時期でした。
――始めてからはどんどんと上達していったのでしょうか?
技の習得は割と早かったとは思いますけど、私は結構、完璧主義なんです(笑)。大人の選手になると10本の連続技を20~30秒かけてやるというルールになりますが、子供の選手だと5本。その5本連続がなかなかキレイにできなくて、自分なりに完成形を目指していた記憶があります。それもあってか4歳か5歳のときに初めて出場した足立区の大会で優勝しました。
――そんなに小さい頃から大会に出場していたのですね。
はい。でも、当時はそこまでの向上心を持ってやっていたわけではなかったと思います。真剣に上を目指し始めるようになったのは小学校の頃です。全日本ジュニア選手権だと同じカテゴリーに300人くらい参加していましたし、ライバル的な子もいましたから、そのなかで結果を出そうと自分なりに頑張るようになっていました。
――2008年の全日本ジュニア選手権で優勝し、中学生になってからは2013年の全日本選手権を史上最年少で優勝され、その時点から日本のトップに上り詰めました。
五輪のたびに4年に一度、ルール改正が行われるので当時はルールが少し違いますが、当時の自分は技の完成度が高かったこと、それと美しさを評価する演技点が高かったと思います。
――そのために努力していたことはありますか?
練習はもちろんですが、練習に通うための自転車が良いトレーニングになっていたかもしれないですね。学校が終わったら自転車で練習場に移動、トランポリンの練習をして、21時半~22時に帰ってくるという生活でした。練習場に行く時は全力で自転車を漕いでいたので瞬発力アップや基礎体力向上につながっていたと思いますし、帰りはいいクールダウンの時間になっていたのかなと思っています。
――中学2年生で全日本を初制覇されましたが、年齢制限で2016年リオデジャネイロ五輪は出られませんでした。五輪出場を具体的に考えるようになったのはいつ頃でしたか?
五輪出場を目標に掲げたのは小学生の頃でした。卒業文集の将来の夢にも「五輪」と書いていましたね。でも、本格的に目指すようになったのは高校生からです。
――高校は地元の足立新田高校に入学後、金沢学院高校に編入されました。
石川県はトランポリンの盛んな地域なので、進学先の選択肢として考えていましたが、都立の高校に入学を決めました。でも半年くらい経った時に、金沢学院高校から「東京五輪に向けてレベルアップしないか」と誘いがあり、後悔したくないという気持ちから編入を決意しました。
最初から金沢へ行っていたら良かったと思われるかもしれませんが、都立の高校で過ごした半年間は自分の人生の中で一番楽しかった学校生活でした。当時の友達とは今でもすごく良い関係で、本当に素晴らしい出会いに恵まれました。自分としては最良の選択だったと今でも思っています。
――金沢へ行ってからの生活はいかがでしたか?
学校も部活も途中からだったので、最初は心身ともにきつくて、トランポリンをやめて東京に帰りたいと何度も思いましたね…。でも、ありがたいことに金沢には母が一緒に来てくれていたので、生活の面倒も見てもらえましたし、競技に集中することができました。
高校時代は競技人生で一番練習した時期だと思います。朝の授業を受けてから学校を途中で抜けて練習、戻って午後にまた授業を受けて、夕方から部活動に参加するという生活でした。そこまで練習時間を取れたのは学校のサポートがあってこそですが、学校と練習場を1日で2往復する日が週2~3回はありましたね。そういう日の練習時間は合計7時間。睡眠時間とほぼ一緒くらいでした(苦笑)。
――凄まじい日々ですね。練習内容もトランポリンを飛んでいただけではないですよね?
ウォーミングアップ、フィジカルトレーニング、クールダウンも入れて、それだけの時間を消化していました。実を言うと、本当にトレーニングが好きじゃなくて、文句を言うことも多かったと思います(笑)。
でも、そんな自分に向き合ってくれたのが、当時指導してくれたトレーナーの方でした。私が負けず嫌いな性格であることを考えてサポートをしてくれて、おかげで出された課題も自分なりに考えてやるようになりましたし、徐々に自分自身をコントロールできるようになっていきました。
――そうしたなか、世間では東京五輪への関心度がアップし、トランポリン競技、その第一人者である森さんへの注目度も高まっていきました。
ものすごくプレッシャーを感じていましたね。それに気づいた時には東京五輪が終わっていました。決勝を外から見ている時に「ああ、もう飛ばなくていいんだ」と考えたときに、頭の先から足の下にかけてサーっと何かが降りていくのを感じました。あの感覚は忘れられないですね。そのときにすごい重圧を抱えていたことを自覚しました。
――五輪本番の時には「逃げたくて、逃げたくて、仕方なかった」と発言されていました。
2019年の世界選手権で優勝してから取材が一気に増えて、テレビに出ると金メダルが期待されている選手として紹介され、「金メダルを取りますと言ってください」とお願いされることも続いて、そうしたプレッシャーが心の中に積み重なっていたと思います。
今、振り返っても、とにかく苦しかったという気持ちが大きいです。当時22歳で、初めて出場する五輪でした。そこで大きすぎるプレッシャーを背負ってしまったことが自分でも本当にかわいそうだったなと思いますし、あの状態からよくここまで戻ってきたなと感じています。「よく頑張ったね」とあとの時の自分に言ってあげたいくらいです。
――自国開催という大きなイベントでそういうムードが日本中に流れていましたね。
もし私が競技者を引退して、日本で五輪がまた開催されるようなことがあれば、同じような思いをする選手がいなくなるような取り組みをしたいと考えています。あれだけのプレッシャーを抱えてボロボロの状態になった選手が結果を出せるとは思いませんし、私のように「五輪は苦しかった」という思い出にしてほしくない。そのための活動は積極的にしていきたいですね。
(後編に続く)<プロフィール>
森ひかる/もりひかる
1999年7月7日生まれ、東京都足立区出身。
4歳のときに地元のデパート屋上にあったトランポリンと出会い、その楽しさに目覚めトランポリンを習い始め、2013年には14歳という史上最年少で全日本選手権初優勝を果たした。リオ五輪は年齢制限の為出場できなかったが、2017年には世界選手権初出場ながらも、日本女子初となるシンクロナイズドで銀メダルを獲得。2018年では同じく日本女子初のシンクロナイズド金メダルを獲得した。2019年世界選手権では個人で日本人選手初となる金メダル獲得。東京オリンピック 日本代表、パリオリンピックでは6位入賞を果たす。

