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〈天山広吉引退〉「背中がビーンとしびれ、下半身に力が入らなくなった」新日本一筋36年、55歳で引退を決めた瞬間…最後の相手に盟友・小島聡を選んだ理由

〈天山広吉引退〉「背中がビーンとしびれ、下半身に力が入らなくなった」新日本一筋36年、55歳で引退を決めた瞬間…最後の相手に盟友・小島聡を選んだ理由

2026年8月15日、レジェンドプロレスラーが引退する。天山広吉選手、55歳。1990年に「新日本プロレス」に入門して以来、乱立するプロレス団体のどこにも移籍することなく、新日本プロレス一筋を貫き通した。引退試合の相手に選んだのは、長年の盟友であり、最大のライバルでもある小島聡選手だ。

 

IWGPヘビー級王座に4度つき、G1 CLIMAXを3度制覇。数々の栄光を手にする一方、長い現役生活ではケガや病気に悩まされ続けてきた。天山選手を直撃し、満身創痍の身体でリングに立ち続けた理由と、引退を決意するまでの道のりを聞いた。〈前後編の前編〉

「休む」という選択肢はなかった

──1990年に新日本プロレスに入門し、93年には当時の有望な若手を集めたリーグ戦「ヤングライオン杯」で優勝を飾ります。当時の若手同士の雰囲気というのはどんな感じでしたか。

天山広吉(以下同) 当時、私はまだ現在の「天山広吉」ではなく「山本広吉」という本名で出ていました。私は90年に新日本プロレスに入りますが、その翌年、小島聡選手が入ってきます。当時から肉体が屈強で、バランスのいい、強い選手だと思っていました。

小島選手に限らず、若手はみんな仲が良かったと思いますよ。ただ、試合となれば別です。馴れ合いは絶対にしないし、「あいつらより強くなってやる」という気概で練習をしていました。みんなそうやって切磋琢磨していたと思いますね。

──ヤングライオン杯優勝のあと、海外に行かれますよね。

はい、オーストリアに武者修行へ行きました。現地では「ヒロ・ヤマモト」のリングネームでヒールをやって、CWA世界ジュニアヘビー級王座を獲得することもできました。

──その後、凱旋帰国した1995年、現在の天山広吉にリングネームを改めます。当時最年少でIWGPヘビー級王座をかけて橋本真也選手に挑戦するなど、強烈なインパクトを残しました。90年から2000年代のプロレスシーンを沸かせてきた一方で、身体は悲鳴を上げていたのではないかと思うのですが。

当時は、練習方法も現在ほど科学的な知見が採用されていませんでしたから、思い返してみても「よくあんな練習に耐えられたな」と思うことがあります。現在では当たり前になっている水分補給も厳禁で、「練習中に水を飲むなんて何事だ」という雰囲気がありました。

またプロレスラーとして、私自身が「どんな技でも受け止めてやろう」という闘志に燃えていましたから、少々の無理は、無理と認識していなかったんです。ちょっとしたケガや風邪などで「休養します」なんてことは言えませんでしたよね。

──疲弊していたとしても、プロレスラーは「試合に出てなんぼ」という空気感があった。

そうですね。実際、その考え方が完全に間違っているとも思わないんです。プロレスラーというのは、試合に出て、足を運んでくれているお客さんたちに対して勇気を与える立場ですから。ただ、特に若手時代に自らの身体をケアすることができていたかと言うと、多くのプロレスラーができていなかったのではないかと思います。

──痛められた部位でいうと……。

首、膝、腰などだいたいやっていますね(笑)。たとえば、腰椎脊柱管狭窄症は、背骨の中にある神経の通り道が狭くなり、神経が圧迫される病気です。おそらく、長年にわたるリング上での衝撃が蓄積したのではないかと考えています。

また、首については、頚椎後縦靭帯骨化症という難病に悩まされた時期もありました。簡単に言うと、首の骨の後ろにある靭帯が骨化してしまい、神経を圧迫する難病です。あとは右膝の変形性膝関節症もありますしね。本当にいろいろです。

「引退かな」とよぎった瞬間、最後の相手に選んだ小島聡

──引退を決意された瞬間について伺えますか。

2024年の暮れも迫った時期の試合だったと思います。いつも通り技を受けて、リングで受け身を取ったんです。背中の一面が「ビーン」としびれて、下半身に力が入らなくなってきたんです。通常であれば、受け身を取って起き上がり、さあ、これから反転攻勢というタイミングです。

仕方がないので、タッグパートナーにタッチをして、リングサイドで休ませてもらっていました。幸い、休んでいると徐々に回復はしてきたのですが、あの瞬間に「引退かな」と頭をよぎりました。

──その後、2026年5月に引退を発表されました。そして、8月15日の引退試合には小島聡選手を指名。「テンコジ」の愛称で長年ファンに愛されたタッグパートナーとの、5分1本勝負だそうですね。当日はどのような試合がしたいですか。

その5分間にこれまでの自分のプロレスへの熱量を注ぎ込むような、そんな試合がしたいと考えています。

だからこそ、相手は小島選手にしました。これまで彼とは、IWGPタッグ王座戴冠(6回)、G1 TAG LEAGUE優勝(2回)、世界最強タッグ決定リーグ戦優勝(2回)などの栄光をともにつかんできましたが、反面、所属する団体が変わって敵対した時期もあり、プロレス人生で感じたあらゆる感情が彼とともにあります。生涯のパートナーであり、ライバルである小島選手とともに、最後の天山広吉を目に焼き付けてもらえたらと思っています。

──引退を決意されたとき、ご家族の反応は。

妻は「え、もっとやれるでしょう」と驚いていました。まだまだ働かせようとしていました(笑)。妻は「目から血が出ても働きなさい」というタイプなので。

──厳しいですね!

ただ私も似たようなところはあるかもしれません。“テンコジ”はこれで終わりますが、小島選手は本当に強くて素晴らしい選手だと思うから、あと10年は頑張ってほしい。そんなふうに思ってしまいますね(笑)。

#2に続く

取材・文/黒島暁生 撮影/野﨑慧嗣

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