1歳時にわずか150万円で購買された馬が、紆余曲折を経てGⅠレース6勝を挙げ、日本のみならず香港でもチャンピオンホースになるという成功譚。その稀に見るサクセスストーリーの主こそが2010年台前半、マイル戦線と中距離(2000m)路線の“二階級制覇”を成し遂げたモーリスである。
父に2008年のジャパンカップ(GⅠ)を制したスクリーンヒーロー、母にメジロ牧場の代表的牝系に連なるメジロフランシス(父カーネギー)を持つ鹿毛の牡馬は2011年の3月2日、元メジロ牧場従業員の戸川洋二がひらいた戸川牧場で生まれた。母のメジロフランシスは戸川がメジロ牧場から独立する際に譲り受けた繁殖牝馬だった。
モーリスは1歳時に日高軽種馬農協が催すセリ市、サマーセールに上場され、育成・調教を行う高昭牧場に150万円(税別)の安価で落札された。その後、牧場で鍛えられたスクリーンヒーロー産駒はめきめきと力を付け、2歳に催された北海道トレーニングセールに上場されると、公開調教のラスト2ハロンで21秒8を計時。そのスピード能力などを買われて、ノーザンファームに1050万円(税込)で落札された。
この売買には日本競馬草創期の生産界を担った二つの牧場が紡いだバックストーリーがある。彼の八代母であるデヴオーニアは社台ファームを創設した吉田善哉が米国から輸入した馬で、そのひ孫にあたるメジロクインをメジロ牧場の創始者である北野豊吉が手に入手。牧場の基礎牝馬となって、この牝系はメジロフランシスへと繋がっていった。つまり、トレーニングセールでノーザンファームに落札されたこの牡馬の血は、長い年月を経て社台グループのもとへ戻っていくというヒストリカルな軌跡を描いていたのだった。 ノーザンファームでトレーニングを受けたスクリーンヒーロー産駒は伝説的なバレエ振付師のモーリス・ベジャールからいただいてモーリスと名付けられ、栗東トレーニング・センターの吉田直弘厩舎に所属し、2歳の10月にデビュー。初戦と3戦目で勝利を挙げてオープン入りするが、3歳になってからはシンザン記念(GⅢ)が5着、スプリングステークス(GⅡ)が4着と連敗を喫してクラシック戦線に乗れず、秋も京都新聞杯(GⅡ)を7着、白百合ステークス(OP)を3着と連敗した。そうした結果を受け、疲労を考慮して長期休養に入ることになり、その間に所属を美浦トレーニング・センターの堀宣行厩舎へ移すことが決定。堀はモーリスのフィジカルな問題をしっかりメンテナンスすることに注力し、立て直しての復帰戦に備えた。
ここからモーリスの快進撃が始まる。堀厩舎からのデビュー戦となった若潮賞(1000万下・現2勝クラス)は出遅れながら豪快に差し切り、2着に3馬身差を付けて快勝。スピカステークス(1600万下・現3勝クラス)もスタートで後手を踏みながら、ここも抜群の末脚を繰り出して連勝を果たす。そして続くダービー卿チャレンジトロフィー(GⅢ)へ駒を進めると直線13番手から怒涛の追い込みで突き抜け、後続に3馬身半差を付けて圧勝。1分32秒2のレースレコードで重賞初制覇を達成した。
そして、満を持して臨んだ安田記念。GⅠ初挑戦ながら単勝1番人気に推されたモーリスは、これまでとは一変した先行策を取り、3番手から直線であっさりと抜け出すと、後方から追い込んできたヴァンセンヌをクビ差抑えて優勝。これぞ昇竜の勢い。条件クラスから4連勝で一気にGⅠウィナーの座へと駆け上がって、大いに父スクリーンヒーローの名を上げた。
夏の休養を経たモーリスは毎日王冠(GⅡ)から復帰する予定だったが、春の疲労が抜けきっていないと判断されてこれを回避。11月のマイルチャンピオンシップ(GⅠ)へ直行することになる。しかし流石はGⅠホースと言うべきか。レースへ行くと休養明けであることを微塵も感じさせない快走を見せ、8番手で直線へ向くと余裕の手応えで突き抜け、2着のフィエロに1馬身1/4差を付けて優勝。連勝を5に伸ばして、二つ目のGⅠタイトルを手にした。
モーリスの進撃は止まらない。次走は初の海外遠征として香港マイル(GⅠ)への出走を選択。地元のエースであるエイブルフレンド(Able Friend)との対決が注目されるなかレースを迎え、直線ではいったんエイブルフレンドに交わされながらそれを差し返して先頭に躍り出ると、追い込んできた香港のジャイアントトレジャー(Giant Treasure)を3/4馬身抑えて優勝。アジアのマイル路線も制圧したのだった。その結果、2015年度のJRA賞において、モーリスは年度代表馬に選出された。最優秀短距離馬が年度代表馬に輝いたのは、1998年のタイキシャトル、2013年のロードカナロアに続く3頭目のことだった。
疲労を考慮してドバイ遠征を見送ったモーリスは、2016年のスタートを香港で切ることになった。5月のチャンピオンズマイル(GⅠ)へ向かったモーリスは前年よりも優れたパフォーマンスを発揮。直線で軽くゴーサインを受けると瞬く間に先頭に立ち、地元のコンテントメント(Contentment)に2馬身差を付けて優勝。連勝記録を7まで伸ばし、「アジアに日本のモーリスあり」を強く印象付けた。 帰国後、モーリスは2連覇を目指して安田記念に出走。単勝オッズ1.7倍の圧倒的1番人気に推されるが、2番手を進みながら、逃げたロゴタイプを捉まえ切れず2着に敗れるという不覚をとる。異例のスローペースと、初騎乗となったトミー・ベリーの仕掛け遅れが原因とは見られたが、連勝記録は7でストップした。
このあとモーリスは休養に入るが、陣営は一計を案じる。レース距離を伸ばし、天皇賞(秋)(GⅠ)を目標に中距離(2000m)路線へ進んで“二階級制覇”に挑戦することを決定したのだ。そのステップとして、夏のイベント、ワールドオールスタージョッキーズに来日する名手ジョアン・モレイラを鞍上に迎えて札幌記念(GⅡ)へ出走することとなった。
単勝オッズ1.6倍の1番人気に推されて迎えた札幌記念。道中8~9番手を進んだモーリスは直線でよく追い込んだが、同厩舎のネオリアリズムに逃げ切りを許して2馬身差の2着に敗れた。しかし末脚はしっかり使えており、小回りコースで追い込み切れなかったのが敗因と見られたため、陣営に大きな落胆の色はなく、当初の予定どおりに天皇賞(秋)へ駒を進めることになった。
単勝オッズこそ3.6倍まで落としたものの1番人気に推されたモーリスは、前年の香港マイル以来の騎乗となるライアン・ムーアを迎えて素晴らしいレースを見せる。好スタートから先団の5番手付近をキープしたモーリスは直線でラクにロゴタイプを交わして先頭に立つと、懸命に追い込むリアルスティールを1馬身半抑えて快勝。中距離路線で新境地を拓くとともに、5つ目のGⅠタイトルを手にした。
そして来春からの種牡馬入りが決まり、ラストランとして臨んだのは、前年の香港マイルから、こちらも距離を2000mに伸ばしてエントリーした香港カップ(GⅠ)。香港でも絶大な評価を得ているモーリスは単勝1.6倍の1番人気に推されて出走し、逃げたエイシンヒカリを直線半ばで捉えて先頭に躍り出ると、差してきた地元のシークレットウェポン(Secret Weapon)に3馬身差を付けて圧勝。チャンピオンに相応しい強いレースをファンの目に焼き付けて現役生活に別れを告げたのだった。
種牡馬となってからのモーリスは、初年度から265頭もの交配相手を集め、下半期にはシャトル種牡馬としてオーストラリアでも種付けを行っている。そして日本ではピクシーナイト(スプリンターズステークス)、ジェラルディーナ(エリザベス女王杯)、ジャックドール(大阪杯)、アドマイヤズーム(朝日杯フューチュリティステークス)というGⅠホースを輩出し、オーストラリアでもヴィクトリアダービーを制したヒトツ(Hitotsu)など、3頭のG1ホースを送り出す活躍を見せている。
年々急速な進化を遂げる日進月歩の現代競馬において、歴史的な背景を持つ牝系の力をよみがえらせたモーリス。安価な取引から見事な下剋上を見せたモーリスは、あらためて競馬における血統の価値を再認識させてくれる稀有な名馬である。
文●三好達彦
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