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「世代論」で読むプロ野球〈松坂世代〉(2)黄金世代としての多士済々

「世代論」で読むプロ野球〈松坂世代〉(2)黄金世代としての多士済々

 80年度生まれには、和田毅、杉内俊哉、藤川球児、村田修一、館山昌平、新垣渚、小谷野栄一、東出輝裕ら、多士済々の顔ぶれがそろった。先発、抑え、強打者、守備の名手─。それぞれが異なる場所で球界の中心になり、のちに「黄金世代」と呼ばれるだけの厚みを証明していく。

 彼らが面白いのは、松坂のコピーが一人もいなかったことだ。和田は球速表示以上の切れとフォームで勝ち、杉内はしなやかな腕の振りで三振を奪い、藤川はリリーフという短い時間に球場の熱を凝縮した。村田は投手ではなく、本塁打で世代の厚みを示した。最初は松坂の光に照らされた同級生だった選手たちが、やがて別々の方法で自分の名前を確立していく。それでも看板だけは、最後まで掛け替えられなかった。

 呼び名は「1980年組」でも「黄金世代」でもなく、「松坂世代」だった。ここに、この世代の栄光と残酷さが同居している。同級生たちにとって松坂は誇りであり、目標であり、否応なく置かれた比較対象でもあった。和田や杉内が勝っても、藤川が火の玉ストレートで打者をねじ伏せても、村田が本塁打を量産しても、彼らは長く「松坂と同じ学年の選手」と紹介された。一人のスターが、同級生全員のプロフィール欄に住みついていたようなものだ。

 だが、松坂本人の側から見れば、世代名になることはもっと重い。ほかの選手は松坂を追うことができるが、松坂には「松坂世代の松坂」を追い続けるしかないからだ。少し活躍するだけでは足りない。好投しただけでも足りない。世代の看板である以上、誰より速く、誰より強く、誰より大きな舞台で勝つことを期待される。彼には、同級生と競争する自由より先に、同級生の代表でいる義務が与えられた。

 松坂世代を「最後の昭和的カリスマたち」と呼びたくなるのは、彼らが昭和末期に生まれたからだけではない。松坂が登場した98年は、テレビ中継と新聞が、全国にほぼ同じ英雄譚を届けることのできた時代だった。情報が細かく分散し、スターがそれぞれのファン層を持つ現在とは違う。一人の投手の一球を、日本中が同じ時間に見つめ、翌朝、同じ見出しを読む。長嶋茂雄や王貞治、江川卓らに連なる「全国共有型」のスター像を、高校生のまま引き受けた最後の存在が松坂だった。

 しかも、そのカリスマの作法も昭和的だった。エースは弱音を見せず、マウンドを降りず、勝敗を自分の責任として引き受ける。球数より根性、分業より完投、説明より結果。松坂は平成の怪物と呼ばれながら、求められた役割は極めて昭和的だったのである。

 プロ入り後の松坂は、期待をかわすのではなく、正面から受け止めた。西武での1年目は16勝5敗、防御率2.60。新人王だけでなく最多勝にも輝き、高卒新人として45年ぶりの快挙を成し遂げた。イチローとの対決は球史にも「平成の名勝負」と刻まれている。普通なら、ルーキーの16勝は驚異的な成功である。だが松坂の場合、それは称賛より先に「やはり怪物だった」という確認作業になった。

 要求はさらに大きくなった。3年目の01年には240回3分の1を投げ、12完投。05年には215回、15完投、226奪三振。メジャー移籍前の06年も17勝5敗、防御率2.13、13完投を記録した。現在の先発投手の運用感覚から見れば、別の競技の数字にすら見える。松坂はローテーションの一員ではなく、「投げる日は試合を終わらせる人」として扱われた。

 当時のエース像には、成績表に載らない査定項目があった。悪いなりに7回まで投げること。救援陣を休ませること。大一番で登板間隔を詰めること。そして、観客が「今日は松坂を見た」と納得することだ。現代なら球団全体で管理される負荷まで、松坂の意思と責任の中に置かれた。彼の頑丈さは能力として称賛される一方、「頑丈なのだから、まだ投げられる」という新しい要求を生み続けた。

 それは本人の誇りでもあったはずだ。エースが最後まで投げることに価値があり、苦しい場面で交代を告げられることは敗北に近い。だが同時に、松坂には休む権利がほとんどなかった。登板日は球場の空気が変わり、相手チームの注目度も上がる。勝てば当然、負ければ事件。松坂の仕事は一勝を挙げることではなく、「松坂を見に来た観客に、松坂らしい何かを見せること」になっていた。エースが選手である前に興行となり、球界全体の公共財になっていく。

 その重圧は日本代表でさらに拡大した。06年と09年のワールド・ベースボール・クラシックで日本は連覇し、松坂は2大会連続でMVPに選ばれた。西武のエースから、日本のエースへ。ボストン移籍後は、07年に15勝を挙げてワールドシリーズ制覇に貢献し、翌08年には18勝3敗、防御率2.90でサイ・ヤング賞投票4位に入った。

 海を渡った松坂が背負わされたのは、個人成績だけではない。「日本の怪物はメジャーでも通用するのか」という、国を挙げての問いだった。自分の一球が、自分だけの評価で終わらない。甲子園では横浜高校を、プロでは世代を、WBCでは日本を、ボストンでは日本野球そのものを代表する。松坂大輔のキャリアとは、所属先が変わるたびに「個」が小さくなるのではなく、逆に背負う範囲が広がっていく歴史だった。

ゴジキ:野球評論家・著作家。「データで読む甲子園の怪物たち」(集英社新書)ほか著書多数。「マネジメント術で読むプロ野球監督論」(光文社新書)が重版出来。発売前から重版となった最新刊「システムで読む甲子園」(カンゼン)が絶賛発売中。Yahoo! ニュースエキスパート。

配信元: アサ芸プラス

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