男性学から考える「ジェンダー平等」の意義

世界で「ジェンダー平等」が叫ばれる中、2023年のジェンダー・ギャップ指数調査(※1)で日本は対象146カ国のうち125位と過去最低の順位になりました。その一方で、日本の男性の幸福度は女性より低く、その差は広がっている、という調査結果(※2)もあります。


1.参考:World Economic Forum「Global Gender Gap Report 2023」(外部リンク/PDF)

2.参考:ASAKO サステナラボ®『第2回ウェルビーイング調査』(外部リンク/PDF)

「ジェンダー問題」は往々に「女性問題」として扱われやすく、反論こそしないにしても、実は内心ジェンダーの話題をあまり快く思っていない……という男性は決して珍しい存在ではありません。

性別を理由に生き方や選択肢が制限されない、それぞれが能力や可能性を発揮できる社会づくりを考えたとき、このジェンダー問題を“自分ごと”として捉える男性が増えて行くことも世の中に変化を生み出すキーポイントになります。

そこで今回は、ジェンダーの観点から男性性を研究する「男性学」の専門家である関西大学文学部教授の多賀太(たが・ふとし)さんに、男性のジェンダーを巡る問題についてお話を伺いました。

社会的につくられてきた男性性を研究する「男性学」

――そもそも「男性学」はどんな学問なのでしょうか?

多賀さん(以下、敬称略):世の中にある「男らしさ」の規範に代表されるように、男性も社会的につくられた「ジェンダー」の影響を受けながら日々の生活を送っています。そのように、男性を女性とは異なる形で「ジェンダー化された存在」と見なして研究していくところに男性学の特徴があります。

1960年代から70年代にかけて、欧米や日本で女性解放運動(第二波フェミニズム)が広がり、女性の視点から女性のあり方やあらゆる学問を捉え直そうとする「女性学」という学問領域も誕生しました。女性解放運動や女性学は、男性よりも劣位に置かれ生き方を制限される女性の在り方は、生物学的な宿命ではなく社会的につくられたものであり、変えることができるはずだと主張しました。

こうした女性たちの主張を受け止めた男性たちが、“男性”もまた女性とは異なる形で社会的につくられていることに気づき、自らの男性としての在り方を問い直し始めた。こうして男性学が誕生しました。


男性学の成り立ちについて話す多賀教授

――ジェンダー問題を考える上で、「男性学」はどんな役割を持つのでしょうか?

多賀:少なくとも3つの役割が考えられます。まず1つ目に、女性が抱える問題を男性の在り方との関係において捉える視点です。

女性が抱える困難を解消するために、まずは女性に注目して女性の実態を明らかにすることが重要なのは当然です。しかし、女性の抱える問題の多くが、実は男性との関係性のもとで生じています。だとすれば、男性の変化を伴わず女性だけが変化して問題解消というわけにはいかない。むしろ男性の変化こそが女性の困難解決の鍵となるかもしれない。

したがって、社会的につくられた男性の在り方に注目して、それが女性たちの困難とどのように関係しているのかを明らかにし、男性たちに変化を促していくことも重要です。

2つ目に、男性自身が抱える生きづらさへの視点です。フェミニズムや女性学を通して、女性たちは、女性ならではの困難を言葉にし、その実態を明らかにしてきました。そうした女性たちの主張を目の当たりにした男性たちが、男性もまた女性とは異なるタイプの「生きづらさ」を抱えていることに気づき、それを言葉にし始めた。

「男なりの生きづらさ」の多くは、男性としておとしめられることによるのではなく、女性よりも優位に立つことを期待され、女性以上に競争や上昇、我慢や無理を強いられるといった性質のものが多い。だから、それらは男性差別というよりも、むしろ「支配のコスト」のようなものとして理解すべきでしょう。

いずれにせよ、男性学は、男性も社会的につくられたジェンダーの規範によって苦しんでいる側面に光を当てることで、ジェンダー問題を男性にとって自分ごととして意識させました。ジェンダー平等の促進が男性自身にとって直接メリットをもたらすことを示し、男性に変化への動機づけを与えたことは大きな意義です。

3つ目に、男性内での多様性や権力関係への着目です。男性とひと口に言っても、置かれた状況はさまざまですし、男性同士の間にも差別や支配・被支配関係があります。

社会的地位や経済力をめぐる格差が「男らしさ」の達成と結びついていたり、「理想的な男性」とされる男性がそうでない男性をおとしめたり・・・・・・。これらの問題はジェンダーと無関係ではありませんが、女性学では扱いづらいものです。こうした男性内部の多様性や差別をジェンダーの視点から明らかにしていくことも、男性学の役割の1つです。

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社会制度と人の意識が、ジェンダー不平等を再生産する

――日本でよく見られる「男性が無意識に抱えがちなジェンダー問題」には、例えばどんなものがありますか?

多賀:「稼ぎ手プレッシャー」は日本の代表的なジェンダー問題と言っていいと思います。

私は大学の授業の一環で、学生たちに、まず自分の将来のライフコース(いつどのようなライフイベントを経験するか)を予測してもらい、次に、もし今の自分と違う性別だったとすれば、将来がどう変わりうるかを考えてもらっています。

すると、かなりの男子学生が「収入のことを考えずやりたい仕事をやる」と話すんですね。では、(男性である)あなたはどんな基準で職選びをしているのかと聞くと「安定して稼げる」ことを重視しているというのです。稼ぐ責任を負わなくてよいのなら、もっと違う職業や働き方を選択する、と。

もはや共働きが当たり前となりつつある若い世代でも、男性には「自分は稼がない」という選択をすることは難しく、最後は自分が支えなきゃという意識が強い。20歳前後の学生でさえ、男性には「稼ぎ手プレッシャー」が植え付けられているのかな、という気がしますね。


男だから稼ぐのが当たり、という見えないプレッシャーが多くの男性を苦しめている

――日本の男性が「稼ぎ手プレッシャー」を抱えてしまう理由には、どういった社会背景があるのでしょうか?

多賀:戦後の日本は「男性稼ぎ手」体制のもとで経済発展を遂げてきました。そこでは、男性には長時間働いて一家を養う賃金を得る役割が期待され、女性には男性に経済的に依存して家庭責任を果たすことが求められました。

欧米では、1973年のオイルショック以降、男性稼ぎ手体制は次第に機能しなくなり、夫婦共働きが主流になっていきました。しかし日本は、バブル経済が崩壊する1990年代前半まで、男性稼ぎ手体制のもとで上向きの経済を維持できたので、こうした社会の仕組みを変える必要性に迫られなかったのです。


戦後の経済成長を後押しした日本社会の仕組みがいまだ根強く残っており、さまざまなゆがみを生み出している。うぃき/PIXTA

多賀:ただし、そうした社会の仕組みは、人々がそれを支持し、それに従うことなしには維持できません。「男だからといって家族が養えなくても別にかまわない」と考える人が増えれば、男性稼ぎ手体制の正当性が揺らぎます。そうならないための文化的な仕掛けの1つが、男性に対する「稼ぎ手プレッシャー」なのではないでしょうか。

私たちの周りには、男性稼ぎ手体制を維持させようとするこうした“磁場”のようなものが存在しているように思います。

――社会の仕組みと人々の意識の両方がそうした“磁場”を形づくっているということでしょうか。

多賀:おっしゃる通りです。男性を仕事での競争や成功へと駆り立てて、そこから「降りない」よう男性に圧力を掛ける。仕事ができて稼いでいる男性こそが「真の男」として持ち上げる。稼ぎの少ない男性や女性に食べさせてもらっている男性を「男らしくない」とおとしめる。

そういう磁場の中にいると、男性は「自分は稼がなくていい」とはなかなか思えません。女性たちも、稼いでいない男性を低く見たり、パートナーとして魅力的だと思えなかったり、というように、そうした磁場に取り込まれてしまいがちです。

他方で、さまざまな社会制度も、人々を男性稼ぎ手体制へと誘導する磁場を形づくっています。国の「第3号被保険者制度」や「配偶者特別控除制度」、大幅に割り増しされる残業代や配偶者扶養手当など。これらはいずれも、事実上、妻が夫の扶養にとどまり、夫が長時間働いて稼ぎ手役割を果たした方が、経済的に得になるように設計されています。

人々は、自分が採った選択を否定したくないので、「これでいいんだと」肯定したり、少なくとも「仕方がない」と容認したりする。そうして男性稼ぎ手体制が根強く残り続ける。

ジェンダーの課題を考える際に、私たちの社会に働いているこうした磁場の存在を意識するのは重要なことではないでしょうか。