55歳「5年連用日記」で、年月の重みを見える化。日常がかけがえのないものに

人生の転機を迎えた2020年に始めた5年日記。今年2024年は早くも最終年です。ハルトモ倶楽部ライターも4期目、時の流れの速さに驚愕しつつ、これまでの日々を振り返ります。

年月の重みを見える化

5年連用日記の初日は、2020年1月1日。

この年の3月に人生最大の節目=早期退職を控えた、私のセカンドキャリア元年でもありました。ハルトモライターになって2度目の投稿にも記しています。

ズッシリと厚い日記帳。これから私はどんな日常をつづるのだろう?

期待と不安の入り混じった最初のページは、母の手作りお節の内容でいっぱい(笑)。そのまま縦に5年分の元日を見ていくと、実家でのんびり過ごす様子が丁寧に記されています。新年だけに(笑)。

3年め(2022年)は、100歳で旅立った祖母の喪中と甥っ子の受験もあり、母と二人の静かなお正月。4年め(2023年)は、母のお節づくりの負担軽減も兼ねてハルメクのお節を注文、5年めの今年(2024)は、弟家族も一緒に房総の温泉宿で迎えました。能登地震が起きたのはその夕方のこと。

連用日記は、同じ一日を毎年無事に迎えられることのありがたさと年月の重みを、瞬時に見える化してくれるツールかもしれません。

5年目にして表紙にイイ感じの味わいが(右)

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日記に込めた日々

たった4~5行でも、毎日続けるのはそれなりに大変です。

かなり充実した日もあれば、なんとなく怠惰に過ごしてしまった日もあり、書くことに窮する時も。それでも「何か一言でもひねりだす」を徹底し、今のところ空白はありません。

旅行や出張で日記が手元に無い時は、帰宅後に手帳を見返し、日付を遡って書き足します。もはや歯磨きと同じ、寝る前の習慣です。

こうして続く5年日記の中で、コロナは長い間蔓延し、いつしか収束しました。私は新しい会社で試行錯誤しながら仕事に取り組み、国家資格を2つ取得。手話やボランティアも始めました。東京オリンピックは1年延期になり、その年に100歳を迎えた祖母は、それを見届けるように天国に旅立ちました。高校生だった甥っ子は大学生になり、私も50代半ば、アラカン目前です。

他にも楽しかったこと、ツラかったこと、頭にきたこと、うれしくて仕方なかったこと……。書ききれないほどの日常が、この茶色くてぶ厚い日記帳の中に収まっているかと思うと、深い愛着を感じます。

チケットの半券を貼ったり、下手なイラストを描き込むことも

アナログ人間と言われようと、私は断然、紙とペン派。記憶も怪しくなってきた今日この頃(笑)、備忘録としての役割も絶大です。