
高齢の親が一人暮らしをしていると、離れて暮らす子どもとしては、「できれば施設で安心安全に過ごしてほしい」と思うこともあるでしょう。しかし、施設の生活が親の自由を奪い、気力や体力を減退させるおそれもあります。今回は、子どもたちに説得されて老人ホームに入居した70代男性の事例から、一人暮らしの高齢者が自宅で生活し続けるポイントをCFPの松田聡子氏が解説します。
老朽化する家で一人暮らしの78歳父…老人ホーム入居を勧めた子どもたち
埼玉県内で一人暮らしを続けてきた宮下一郎さん(仮名・78歳)は元会社員の年金生活者です。5年前に妻を亡くしてからは一人で家事をこなし、年金月15万円と貯金1,000万円で静かに暮らしていました。しかし、最近では徐々に足腰が弱り、外出は近所のスーパーのみとなっていました。
一郎さんには同じ市内に住む長女の千鶴さん(48歳)と、栃木県に住む長男の健太郎さん(45歳)がいます。働き盛りの健太郎さんはなかなか実家に帰ることはできず、お盆と年末年始に顔を見せるのがやっとです。千鶴さんも仕事を持っており、一郎さんに会うのは月に1度程度です。しかし、一郎さんは何も言わずに一人暮らしを淡々と続けていました。
ある日、実家に顔を出した千鶴さんは、一郎さんから玄関で転んでケガをした話を聞かされます。一郎さんは笑い話のつもりのようでしたが、千鶴さんは以前から気になっていた家の状態がますます心配になりました。
建物の老朽化以上に目に付くのが、浴室の段差、廊下の暗さ、手すりのない階段です。高齢者向けの配慮がまったくない造りのまま、78歳の父が一人で暮らしているのです。
「やはり施設で過ごしたほうが安全ではないか」と千鶴さんは健太郎さんに相談し、一郎さんに有料老人ホームに入居してもらうことにしました。「毎月の利用料の一部は兄弟で出し合うことにしよう」と決め、二人で一郎さんを説得することにしたのです。
500万円払って父を「牢獄」に入れたのか? 入居1ヵ月で決断した退去劇
最初は渋っていた一郎さんですが、子どもたちの真剣な様子に根負けし、施設への入居を承諾しました。ただし、自宅はそのままにするのが条件です。実家のケアは千鶴さんの負担になりますが、「施設に入居するなら」と折り合うことになりました。
こうして一郎さんは入居一時金500万円、月額利用料17万円の郊外の静かな有料老人ホームへ入居したのです。清潔な個室や食堂、週に数回のレクリエーション。廊下には手すりが完備され、段差はひとつもありません。「これでひとまず安心できる」と千鶴さんと健太郎さんは胸をなで下ろしました。
しかし、1ヵ月後、施設を訪ねた千鶴さんに、憔悴した様子の一郎さんが言いました。
「頼みがある。家に帰らせてくれ」
衰えがあったとはいえ一人でなんとか生活できていた一郎さんにとって、老人ホームでの集団生活は苦痛以外のなにものでもなかったのです。
最初は「施設の生活に慣れないからだろう」と思っていた千鶴さんですが、一郎さんの必死な様子に「お父さんをこのままここに住まわせるのは私たち兄弟のエゴかもしれない」と気づきました。
千鶴さんから父の話を聞いた健太郎さんも自分の過ちを認め、一郎さんは晴れて住み慣れた自宅へ戻ることになったのです。
