人間と同等以上の知能を持ち、多様なタスクを自律的に学習・こなす次世代AI=AGI(汎用人工知能)の時代が来ると言われている。それが現実であるなら、ワタシ(中村修治)は“間抜け”であることで共生していきたいと考えている。こんな与太噺をコラムにしてみたので一席お付き合いいただきたく…。
「道具屋」という古典落語をご存知だろうか!?
主人公は落語でおなじみの与太郎だ。働き口を転々としてきた与太郎が、叔父さんの道具屋を手伝うことになる。ところが店に並んでいる古道具の使い道が、まるで分からない。お客が来るたびに、とんちんかんな説明を始める。
刀の鍔(つば)を見て「これは鉄の饅頭のフタでございます」。
火鉢を見て「これは冬に足を入れて温める桶でございます」。
叔父さんから見れば目も当てられない。だが落語を聞いていると、不思議なことが起きる。与太郎の説明は間違っているのだが、そのおかげで私たちは道具を別の角度から見ることになる。当たり前だった意味が、ほんの少し揺らぐ。
落語というのは面白いもので、利口な人物ばかりでは話が転がらない。与太郎のような、少し間の抜けた人物がいるからこそ、物語が動き出すのが常である。
正し過ぎていく社会に必要なものは!?
話題の生成AIさんは、質問をすれば瞬時に答えが返ってくる。文章も書けるし、分析もできる。しかもそれなりに筋が通っている。便利であることは間違いない。ただ、生成AIさんはとても賢いのだが、どこか「正し過ぎる」。人間の社会というのは、どうもそんなに整然としたものではない。
企業の組織も同じだ。会社には優秀な人がたくさんいる。数字に強い人、戦略を立てる人、管理をする人。だが、そういう人ばかりが集まると、組織はだんだん息苦しくなる。誰もが合理的で、誰もが正しいことを言う。すると、いつの間にか「問い」が消えてしまう。