42歳からの再出発。若者たちと学んだ2年間

コロナ禍の中、ともに学び合った鹿児島県立農業大学校の仲間たち
すぐにでも家業を手伝おうと考えた生野さんでしたが、それに「待った」をかけた人がいました。いちき串木野市役所の営農指導員であり、地元の先輩でもある内田さんです。「まずは農業大学校で学んだほうが良い」という助言を受け、生野さんは42歳で学生になりました。
──農業大学校は全寮制なんです。2年間、18〜19歳の子たちと一緒に暮らしました。
果樹科を専攻し、若者たちとともに栽培を一から学ぶ日々。当番制で学校の農園の管理をしながら、週末は片道40分以上かけて帰省し実家の農園の作業もするという、忙しい毎日を送ったそうです。
この2年間で生野さんが得たのは、農業の知識だけではありませんでした。
──農業の仲間ができました。年は離れていても、頼れる存在です。
自分にはない感覚を持つ若い仲間たちの存在は、「SNSを活用した販売などに挑戦するときにも心強い」と、生野さんは語ります。42歳で身を置いた学びの場では、農業人生を支えてくれる、かけがえのない仲間との出会いが生まれました。
農園で、人とつながる未来を描く

鮮やかなオレンジ色の果実が、農園を彩る
現在、生野さんは柑橘系の果樹を中心に、梅や米などの生産にも取り組んでいます。生産量が多いのはみかんやポンカンですが、鹿児島県のブランド品種「大将季(だいまさき)」や、いちき串木野市の特産品「サワーポメロ」などの栽培も手がけているそうです。
また、生野さんは農園に立つだけでなく、JA青年部などの団体に所属し、地域の中でも精力的に活動しています。地元の“さのさ祭り”に出店したり、保育園での食育活動に取り組んだり。柑橘農家の減少や高齢化が進む中、仲間を増やす活動にも熱心です。
その背景には、消防団や子どもたちの陸上競技の監督など「何屋さんなの?」と思うほど多くの役割を担っていた父の存在がありました。

JA青年部の活動。農業の仲間たち&子どもたちとともに、笑顔の一枚
──まだ父のようにはできていません。でも、地元に貢献したいという思いは大きいです。
サラリーマン時代から、「人の力になりたい」という思いを持ち続けてきた生野さん。その思いは、仕事の場が医療の現場から故郷の農園へと移った今も、変わっていません。
そして、生野さんには新たな夢があるといいます。
──将来は観光農園をやりたいんです。お客様と直接話して、笑顔が見られたら嬉しい。
農産物を販売する方法としては、農協にまとめて出荷する共同販売のほうが効率的です。一方で、個別販売は手間がかかるものの、「あなたのみかんがおいしい」という声を直接聞けることが原動力につながるといいます。観光農園を目指す理由も、その延長線上にあるそうです。「やっぱり自分は、人と接することが好きだから」と、生野さんは笑顔を見せてくれました。
祖父の代から続いてきた農園は今、果樹を育てるだけの場所ではなく、人と人の笑顔が交わる場所になろうとしています。

