
住居費の軽減や穏やかな暮らしを求めて、「地方移住」を選ぶ人も少なくありません。内閣官房・内閣府『東京圏、地方での暮らしや移住及び地方への関心に関する意識調査(令和2年)』でも、「自然環境のよさ」や「生活コストの低さ」が移住の主な理由として挙げられています。一方で、移住後には「医療や交通の不便さ」や「生活環境のギャップ」に戸惑う人も多く、時間の経過とともにその影響が表面化するケースも見受けられます。「自然豊かな土地でゆっくりと老後を過ごしたい」という理想を持って地方移住を実現した夫婦が、先日ファイナンシャルプランナー・波多勇気氏の波多FP事務所を訪ねてきました。相談内容は、都会への「逆移住」について。家賃や食費だけでは測れない、田舎暮らしの“隠れコスト”が2人を苦しめていたようです――。※紹介する事例は、相談者より許可を得て、プライバシー保護の観点から相談者の個人情報および相談内容を一部変更して記事化しています。
住居費と食費の安さに惹かれ、定年後に地方移住した夫婦
「先生、私たち、もう一度都会に戻ろうと思うんです」
70歳の佐藤さん(仮名)は、妻を連れて、開口一番筆者にこう訴えました。
2人は5年前、都内のマンションを売却し、地方の小さな町へ移住しました。当時、マンション売却益と退職金を合わせて約3,500万円の資産があり、そのうち900万円で築50年の古民家を購入。さらにリフォームに400万円を投じました。残る2,200万円は、老後の生活資金として温存する計画でした。
収入は、夫の厚生年金が月約15万円、妻の国民年金が月約6万8,000円で、合わせて月約21万8,000円です。
「都内に住んでいたころは、この収入ではとうてい生活できなくて。地方なら家賃もかからないし、余裕で暮らせると思っていたんです」
そう振り返る夫。妻も続けます。
「家庭菜園で野菜も採れるし、近所の方からは魚もいただけるって聞いて。食費もほとんどかからないと思っていたんです」
ところが、移住して2年目に入ったあたりから、夫婦の家計は少しずつ軋みはじめます。夫が軽い脳梗塞を発症し、月2回の通院が必要になったことをきっかけに、想定外の支出が増えていったのです。
「気づいたら、2,200万円あった預金が1,400万円にまで減っていました」
5年間で800万円の取り崩し。単純計算で年160万円、つまり毎月約13万円の赤字が生じていたことになります。地方移住で生活コストが下がるはずが、月21万8,000円の年金収入では、生活費と医療費を賄うことができなかったことを意味します。
交通費、住まいの修繕費…夫婦を苦しめた“隠れコスト”
「ガソリン代だけで、月に3万円近くかかっていたんです」
そう伺ったとき、正直筆者も驚きました。都内に住んでいたころ、夫婦の交通費はほぼゼロ。駅までは徒歩5分、スーパーもドラッグストアも病院も、生活圏のなかにすべて収まっていたそうです。
ところが佐藤さんが住む町では、最寄りのスーパーまで車で片道20分、総合病院までは片道40分。夫の通院と週2回の買い物をこなすだけで、軽自動車1台の維持費は年間約45万円に達しました。これは、ガソリン代や車検、任意保険、自動車税、タイヤ交換など、すべてを含めた金額です。
「タクシーなんて使ったら片道8,000円ですからね。年金暮らしでは、とても現実的ではありませんでしたよ」
加えて、建物の修繕費も想定を大きく上回りました。
「屋根の葺き替えに180万円、シロアリ防除に30万円。水回りの修繕や畳の張り替えも合わせると、建物関係だけで5年で280万円は使ったと思います。築50年の古民家は気密性が低くて、冬場の灯油代も月3万円近くかかりました」
マンションに住んでいたころの修繕積立金は月1万5,000円ほど。5年で約90万円の計算です。それと比較すれば、古民家の修繕コストは実に3倍以上という計算になります。
こうした状況は、佐藤夫婦に限った話ではありません。総務省『家計調査』(2023年)によれば、2以上世帯の交通費は地方都市・町村部のほうが大都市圏より高くなる傾向があるとされ、自家用車を前提とする暮らしでは、むしろ支出が膨らむケースも少なくないのです。
要領わからず、「ご近所付き合い」で年20万円
そしてもうひとつ、移住するまでわからない“隠れコスト”がありました。地域コミュニティとのお付き合いです。
「町内会費や神社の奉納金、自治会の寄付や差し入れ。こうしたお付き合いで、年間20万円近くが出ていきましたね」
妻はそういったあと、少し間を開けて、言葉を選ぶようにして続けました。
「それよりもしんどかったのは、精神的なほうです。町で20年以上暮らしていらっしゃる先輩移住者の方に『20年住んでも、結局よそ者だよ』といわれたとき、もうここに居続ける気力がなくなって。草刈りの当番を一度断っただけで、翌日から挨拶されなくなることもありました」
「これまでは、都会の“無関心”が、ある意味救いだった面もあるかもしれません」と、妻は、伏し目がちにそういいました。
