◆置き忘れたカメラが無事に戻ってきたことに感動

「窓越しに、自分のカメラが座席に見えたんです。しかし、ドアが閉まり、電車はそのまま走り去っていきました。そのときは、“終わった”と思いました」
初めての日本。土地勘もなく、言葉も分からない。どこに相談すればいいのかも分からず、不安のほうが大きかったといいます。
「仕事初日の朝10時です。日本に来たばかりで、もうカメラをなくしたのかと、頭が真っ白になりました。正直、何をしたらいいのか分かりませんでした。もう戻らないと思っていました」
駅で相談したものの、最初はうまく意思疎通ができませんでした。英語も通じず、紙切れ一枚を渡され、そこには日本語で書かれた案内と電話番号が書かれていたそうです。
ところが翌日、英語の話せる駅員の女性が対応してくれます。リッチさんの事情を聞くと、落とし物の確認や手続きを丁寧に進めてくれたそうです。
「その人が本当に親切だったんです。安心しました」
そして数日後、駅員から連絡が入ります。カメラは見つかっていました。しかも、電車内にそのまま残っていたのです。朝10時ごろに置き忘れ、終電後の確認まで誰にも持ち去られなかったといいます。
「信じられませんでした。14時間近く、そのまま座席に残っていたんです。アメリカでは、なかなか想像しにくいことです」
アメリカでは、落とし物が人目につく場所に長時間そのまま残っているケースは多くありません。だからこそ、リッチさんは日本の治安の良さが強く印象に残ったようです。
さらに、その女性駅員は勤務後にもかかわらず、受取先の駅までいっしょに来て、通訳までしてくれたそうです。
「仕事が終わったあとですよ。それなのに、いっしょに来てくれたんです」
その女性こそ、のちにリッチさんの妻となる女性でした。
「当時は、まさかこうなるとは思っていませんでした。でも、あのカメラを忘れていなければ、彼女にも会っていなかったかもしれません」
リッチさんはそういって笑います。偶然の忘れ物が、彼の人生の流れを変えたのです。
◆“あの日”から続く日本との縁…その後、駅員の女性と結婚!

「妻の家族が東京に暮らしていることもあり、東京には特に親しみがあるんです。あのときカメラを忘れていなかったら、今の人生は違っていたかもしれません」
そう語るリッチさんの表情は穏やかでした。旅先で起きた小さな出来事が、人生を大きく動かすことがあります。日本との縁が家族との時間へとつながった、まさにそんな物語でした。
<取材・文/トロリオ牧(海外書き人クラブ/ユタ州在住ライター)>
【トロリオ牧(海外書き人クラブ)】
2001年渡米、ユタ州ウチナー民間大使。アメリカでスーパーの棚入れ係やウェイトレス、保育士を経験したあとアメリカ政府の仕事に就く。政府職員として17年務めるが、パンデミックをきっかけに「いつ死んでもOK!な生き方」を意識するようになり2023年辞職。現在はNHKラジオ出演や日本のWebメディア執筆など幅広く活動中。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」会員

