◆資本主義の前提が過去のものになった「失われた30年」

原油価格が4倍になり、物価上昇と不況が同時に進むスタグフレーションが起こり、経済はそれまでとまったく異なる局面に入った。トイレットペーパーの買い占め騒動が起きたのもこのころである。
しかし1980年代になると日本経済は立ち直り、家電や自動車の輸出が急増する。景気は回復して、物価上昇率は年1〜2%で推移した。
一方賃金も右肩上がりに上昇し、1980年に292万円だった平均年収は1989年には414万円になった。伸び率で言えば約42%増である。
この9年間の物価上昇は19%弱だったので、年収の伸びは物価上昇を大幅に上回っている。
だからこそ人々は、ちゃんと働きさえすれば自分たちの生活が徐々に豊かになっていくのだという夢を信じることができたのだ。
ところが市場の膨張は、やがてその勢いを失っていく。
1985年のプラザ合意(アメリカの貿易赤字を減らすため、ドル安・円高に誘導した国際協調政策)後の円高不況対策として実施された金融緩和を背景に、1980年代後半は株価や地価が異常に高騰し、バブル経済の様相を呈してきた。
幸か不幸か1990年代に入るやバブルは崩壊したが、日本はその後「失われた30年」と呼ばれる景気低迷に陥った。
家電や自動車といった耐久消費財はすでに多くの家庭に行き渡り、「まだ持っていない人に売る」という拡大余地が小さくなっていたのもその一因である。
経済成長というのは単に努力の問題ではなく、未開拓の市場がどれだけ残っているかにも左右されるのだ。
さらに、高度成長を支えた若年人口の増加はピークを過ぎ、若年労働力人口(15〜34歳)も減少していった。
作る人も買う人も自然に増え続けるという前提はもはや過去のものになったのだ。
◆高い付加価値で利幅を維持する戦略が取れなかった日本
もちろんそれでも、資本主義は利潤を確保し続ける必要がある。繰り返しになるが資本主義とは、「利潤の獲得とその最大化」を目指す運動なので、その目的を達成するには、いかにして生産コストを抑えるか、いかにしてたくさん売るかというのが資本家にとって大きなテーマになる。
生産コストを下げるために発展途上国に工場を移転したり、たくさん売るために日本国外にまで市場を広げようとするのも、すべて「より多く、より効率的に」利潤を得るためなのである。
もちろんそれ以外にも圧倒的に便利な新製品を生み出したり、独自の技術やブランド力で高い付加価値をつけるという道はある。要するに、「高く売る」ことで利幅を維持しようという戦略だ。
しかし日本はこの点において成功したとは言いがたい。
1990年代以降、インターネットやデジタル技術が経済の中心になっていく中で、世界市場を支配するプラットフォーム企業はそのほとんどがアメリカから生まれ、それに続いたのは中国である。
日本企業は圧倒的な技術力を誇りながらも、世界に誇れる斬新なサービスを主導することはできなかった。
その結果、多くの分野で価格競争に巻き込まれていくことになり、むしろ「安く作る」方向に圧力がかかる。その結果もたらされたのが、賃金の抑制や非正規雇用の拡大なのである。
【池田清彦】
1947年、東京都生まれ。生物学者。東京教育大学理学部生物学科卒、東京都立大学大学院理学研究科博士課程生物学専攻単位取得満期退学、理学博士。山梨大学教育人間科学部教授、早稲田大学国際教養学部教授を経て、現在、早稲田大学名誉教授、山梨大学名誉教授。高尾599ミュージアムの名誉館長。生物学分野のほか、科学哲学、環境問題、生き方論など、幅広い分野に関する著書がある。 フジテレビ系『ホンマでっか!?TV』などテレビ、新聞、雑誌などでも活躍中。著書に『騙されない老後』『平等バカ』『専門家の大罪』『驚きの「リアル進化論」』『老いと死の流儀』(すべて扶桑社新書)、『SDGsの大嘘』『バカの災厄』(ともに宝島社新書)、『病院に行かない生き方』(PHP新書)、『年寄りは本気だ:はみ出し日本論』(共著、新潮選書)など多数。また、『まぐまぐ』でメルマガ『池田清彦のやせ我慢日記』を月2回、第2・第4金曜日に配信中。

