年金額はほぼ同じはずなのに…施設利用料が違う理由とは
帰宅後、敬子さんは施設から渡されていた資料を改めて見直しました。そこで、ようやく理解したのが、「負担限度額認定」という制度の中身です。
特別養護老人ホームでは、食費や居住費について、一定の条件を満たす人には自己負担の上限(負担限度額)が設けられ、超えた分は介護保険から補填される仕組みがあります。
この制度には、大きく2つの「関門」があります。ひとつは所得の関門——世帯全員が住民税非課税であること。もうひとつは資産の関門——預貯金等が一定額以下であること。収入が少なくても、貯蓄が多ければ対象外になります。どちらか一方でも満たさなければ、軽減は受けられません。
つまり、収入が少なくても、資産が多ければ対象外になることがあります。敬子さん夫婦は、所得の関門はクリアしていました。しかし、長年積み上げてきた2,100万円という貯蓄が、資産の関門に引っかかりました。
令和6年(2024年)8月以降の現行制度では、軽減対象となる所得の低い世帯でも、夫婦の預貯金上限はおおむね1,650万円以下。敬子さん夫婦の貯蓄2,100万円はこれを大きく上回り、軽減対象外(第4段階)と判定されたのです。
「年金で決まるものだと思っていました。でも、そうじゃなかったんですね……。年間で計算すると80万円以上、5年続けたら400万円以上も差がついてしまう」
敬子さんは、そう複雑な表情を浮かべます。
特別養護老人ホームは、もともと住民税非課税世帯など低所得者層を支える役割を持つ施設でもあります。そのため、多くの入所者が何らかの軽減措置の対象となる層に該当すると考えられます。
つまり、制度としては合理的である一方で、”平均的に準備してきた人ほど対象外になりやすい“という側面も持ち合わせています。
「先々のためにと思って貯めてきたお金が、こういう形で影響するとは思っていませんでした」
収入を軸に考えがちな老後の負担設計ですが、特別養護老人ホームの食費や居住費の軽減では「資産」も判定に影響します。その線引きは段階で区切られており、ほんの少しの差で負担が大きく変わることもあるのです。
なお、令和8年(2026年)8月からは食費の基準費用額が1日100円引き上げられ、軽減対象者(第3段階)の食費自己負担額も一部増額される予定です(厚生労働省)。一方、低所得者(第2段階)の食費は据え置きとなるため、軽減対象者の間でも負担の差は今後さらに広がる見込みです。
「貯めるだけでは足りない」老後資金を考えるもう一つの視点
今回のケースは、決して特別なものではありません。
総務省の「家計調査報告(貯蓄・負債編)」2024年(令和6年)平均結果の概要によれば、65歳以上の二人以上世帯の平均貯蓄額は2,509万円、中央値は1,658万円。1,000万〜2,000万円台の世帯は決して珍しくなく、敬子さんのようなケースは、むしろ制度の“境界”に位置しやすいといえます。
老後資金は「いくらあるか」だけでなく、「どう制度と関わるか」まで含めて考える必要があります。一定以上の資産があると軽減対象外となる一方、資産が少なければ負担は軽くなる——そうした仕組みが存在することを、きちんと理解している人は限られています。
だからといって、「貯めないほうがいい」という話ではありません。
敬子さんは静かにこう話します。
「今思えば、もう少し計画的に使っておけばよかったのかもしれません。たとえば自宅のバリアフリーリフォームや、夫の通院費、旅行……使うべき場面で使っていれば、貯蓄額は制度の基準内に収まっていたかもしれない。でも、そのときは"残しておかないと不安"という気持ちのほうが強かったんです」
その判断は、多くの人にとって自然なものではないでしょうか。夫婦の貯蓄合計が1,000万〜2,000万円前後の世帯は、この制度の「境界」に位置しやすい層です。一度、自分の資産水準と制度の基準を照らし合わせてみることには、確かな意味があります。
貯蓄そのものは、もちろん大切な備えですし、決して悪いものではありません。むしろ、長い老後を支えるうえで欠かせないものです。ただ一方で、制度の設計上は、一定の資産があることで軽減の対象から外れることもある。そうした現実があることを知っておくことで、これからの資金の考え方に少し余裕が生まれるかもしれません。
あなたの老後資金は、どの制度の上に成り立つものとして考えていますか。
三原 由紀
プレ定年専門FP®
