年金繰上げの「まさかの落とし穴」に絶句
1年ほど経った頃、自宅で転倒し、腰を強く打った高橋さん。手術は成功したものの後遺症が残り、長時間の外出が難しくなりました。週2日のアルバイトも続けられなくなり、収入は繰上げ年金だけになります。
入院中、病院のソーシャルワーカーから「障害が残る場合、障害年金という制度が使えることがあります」と声をかけられました。もし障害年金を受給できれば、家計の大きな支えになるはずでした。しかし、障害年金について調べていく中で、高橋さんは思いもよらない事実を知ることになります。
繰上げ受給を選択すると、その後にケガや病気が発生した場合、障害基礎年金を請求することが原則としてできなくなるのです。
繰上げ受給によって老齢基礎年金の受給権が発生した時点で、新たに障害基礎年金を請求する道が原則として閉じられるためです。一度請求すると取り消しもできません。
将来に備えていたはずの選択が、別の局面では自分を守る手段を閉じていた――その現実に、高橋さんは小さく叫びました。
「嘘だろ、こんなことまで考えてなかった……」
繰上げ受給が選ばれる背景と、計算に入りにくいリスク
厚生労働省「厚生年金保険・国民年金事業年報(令和5年度)」によると、国民年金の受給権者(基礎年金のみ)で繰上げを選択した人は146.5万人で24.5%、繰下げを選択した人は12.9万人で2.2%となっています。ただし、厚生年金の受給権者においては、繰上げは26.0万人で0.9%、繰下げは44.5万人で1.6%です。
つまり、繰下げよりも繰上げを選択する人は多いものの、厚生年金を受け取る会社員においては、まだそれほど多くないというのが実情です。
一方で、現役世代の会社員の間で、繰上げ受給の注目が高まっているのも事実です。その背景にあるのは、「いつまで生きるかわからないなら、早くもらったほうがいい」という感覚のようです。さらに近年では、SNSや動画サイトなどで「繰上げ+投資」という考え方が広まったことで、繰上げ受給が合理的な選択に見えやすくなっています。
確かに、数字だけを見れば納得感はあります。たとえ減額されても、早く受け取った分を運用に回せばいい――一見、理にかなっているように見えます。
しかし、その計算に入りにくいのが、まさに高橋さんが直面した「健康リスク」です。
老後の生活設計は、つい「何歳まで生きるか」という視点で考えがちですが、実際には「どのような状態で生きるか」も同じくらい重要な要素です。思いもよらなかった変化が、ある日突然訪れることも少なくありません。
たとえば、障害等級2級に該当した場合の障害基礎年金額は、2026年度で年額84万7,000円(月額約7万600円)と、老齢基礎年金の満額と同水準です。障害の状態が続く限り、長期的に支給されます。しかし、繰上げ受給を選択すれば、このお金を受け取れなくなる可能性があります。
繰上げ受給には、こうした障害年金との関係以外にも、知っておくべき制約があります。たとえば、老齢基礎年金と老齢厚生年金は必ずセットで請求する必要があり、どちらか一方だけを選ぶことはできません。このように、損得の計算だけでは見えてこない「制度上の制約」が、繰上げ受給にはいくつも伴っているのです。
