※本記事は、ひろゆき著『人生の正体 生きること、死ぬこと』(徳間書店)より抜粋、編集したものです。

◆最低限度の生活ラインを把握する
「お金に対する不安はありますか?」いまも時々、そんな質問を受ける。僕の答えはいつも一緒だ。
「まったくないですね」
資産運用はどうする? 老後の蓄えはどうする?
その手のお金にまつわる将来不安というものを生まれてこの方、一度も抱いたことがない。
お金が足りなければ稼げばいい。それだけだ。それ以外に手立てはない。
僕が大学生のとき、ひと月の生活費は5万円もかからなかった。家賃が2万8000円。食費は1万円くらい。そこに足がわりの原付バイクのガソリン代も加えて、月5万円あれば十分だった。
5万円で何不自由なく暮らせるのだから、この先お金に困って死ぬことはない。そう悟ったのである。
自分自身の健康で文化的な最低限度の生活ラインはどこなのか。
それさえ把握できていれば、不安になりようがないのだ。月5万円であれば週数回のアルバイトで得られる。もう少し稼ぎたいのなら、もう少し働く。それだけの話だ。何も悩むことはない。
◆無理をしてまで入手すべきものなんてない
お金の価値観は子どものころから少しずつ形成されていく。欲しいものを手に入れるために、お年玉やお小遣いをコツコツ貯める経験は、忍耐力を養うことにもつながる。
僕はお年玉をぜんぶ親に預けていた。かといって、来たる大きな買い物のために忍耐力を発揮していたわけじゃない。欲しいものなんてなかった。親が僕の将来のために貯金しておくと言うのでそれに従っただけだ。
大人になってから「そういえば僕の貯金、どうなったの?」と親に聞くと、マンションを買ったときの頭金に使ったという。
「へぇー、そうなんだ」
1ミリも責める気は起きなかった。約束は破られたが、親が必要に駆られて使ったのならそれでいい。僕はお金に対して特段の価値を見出していなかった。そして、いまもそれは変わらない。
そういえば、親からお小遣いをもらったこともない。キン消し(漫画『キン肉マン』の消しゴム人形)やビックリマンチョコやミニ四駆といった、当時の子どもたちが熱狂していた流行りのものをねだった記憶もない。
何となく、そういう願望を口にしても叶わないと思っていた。
手に入らないものは手に入らない。この世に無理をしてまで手に入れるべきものなんてない。子どものときも、大人になり、オジサンになったいまも僕はそう思っている。

