※本記事は、ひろゆき著『人生の正体 生きること、死ぬこと』(徳間書店)より抜粋、編集したものです。

◆AIは天才には勝てない
AIは「1」を「100」にするのは得意だ。文章を要約したり、プログラムのバグを見つけたり、似たような絵を量産するのは、人間よりはるかに速い。でも「0」から「1」を生み出すのは苦手だ。この違いを説明するのに、シュリニヴァーサ・ラマヌジャン(1887~1920=インド)の話を思い出さずにはいられない。
20世紀初頭、ラマヌジャンという天才数学者がいた。専門教育をほとんど受けていないのに、独学で数論や無限級数など、後世の数学者が何十年もかけて検証するレベルの公式を、次々と「発見」したのだ。
ただし、問題があった。ラマヌジャンはその証明をすべて飛ばしてしまうのだ。
答えにはたどり着いているのに、「なんでそうなるの?」と問われると説明できない。本人もよく、こう言っていたとされている。
I see the result, but I do not know how to get there.(結論は見えるが、そこに至る道はわからない)
このラマヌジャンが残した逸話は、ある意味、とても人間らしい成果の出し方なのではないか。
AIは常に高いレベルの精度を誇る。一方、人間は間違いだらけだけど、ときどき大きな仕事を成し遂げる。しかも、本人もあずかり知らないうちに、誰も到達できないほどの世紀の大発見をしてしまうのだ。
こういう奇跡を目の当たりにすると、人間の底力はAIなんて目じゃない、と思ってしまう。
◆AIは凡人を助け、凡人を蝕む
一方で、AIは逆だ。AIは手順の整理はお手のもので、わかりやすく丁寧に説明できる。でも、ラマヌジャンのように「どこから来たかわからない結論」をポンと落とすのは苦手だ。だから、AI時代に残る人間の価値は、平均的な答えに近づくことではない。大きな飛躍ができるかどうかだ。
でもここで勘違いしてはいけない。
ラマヌジャン級の天才はそういない。そういないから天才なのだ。人間の99・9%は凡人である。もちろん僕もそうだ。
外国語のメールを丁寧に直したい、複利計算を出したい、法律の条文を平易な日本語に言い換えたいーーこの手の作業は、かつては専門知識のある人の専売特許であり、向き合うのにそうとうな手間が必要だった。
でもいまはAIに聞けばだいたい解決する。「答えがある問題」に限っては、AIは誰にでも使える有能な補助ツールになった。
AIは「天才の代わり」にはならないが、「凡人が手に負えない場面」を確実に減らしてくれるわけだ。
ただし、そこには難しさもある。
精度の高い成果を求められる時代になったということは、「これさえできれば食べていける」という仕事のハードルが、どんどん底上げされていくことでもある。
AIが代替できる仕事(文章の要約、定型メールの作成、データの整理など)は、コストの論理でいずれ人間から切り離されていく。凡人にとっての「普通の仕事」が、AIに飲み込まれていく。
つまり「AIが凡人を楽にしてくれる」と「AIが凡人の仕事を奪う」は、同時進行の現象と言える。
底上げと淘汰が、表裏一体で進んでいく。それがAIのいちばん厄介で、いちばんおもしろいところだろう。

