
長年会社に尽くし、結果を出し続けてきた――。そんな“やり手社員”であっても、定年が近づくにつれ、会社での立場は変わっていきます。そうした変化に気づけないまま年齢を重ねると、思いもよらない現実を突きつけられることになるかもしれません。詳しく見ていきましょう。
勤続35年超の60歳元営業本部長、最終出社日「まさかの光景」
35年以上、営業マンとして数字を追い続けて、営業本部長までのぼりつめた加藤賢一さん(仮名・60歳)。ピーク年収は1,300万円。しかし、その最後の日は、華やかなフィナーレとは程遠いものでした。
加藤さんが勤めていた会社では、60歳以降も継続雇用制度を利用して働き続けることが可能でした。収入は減るものの、65歳からの年金受給までの5年間はそのまま残る。それが大半の社員にとって当たり前の選択肢でした。
当然、加藤さん自身もそうするつもりでした。ところが、60歳を目前に言い渡されたのは、営業とは無縁の部署への異動。長年築いてきたキャリアも経験も活かせない、誰の目にも“閑職”とわかる配置転換でした。
「俺の貢献を何だと思っているんだ」
怒りとともに加藤さんは退職を選びました。そして迎えた最終出社日。営業部長を担った人です。本来なら盛大な送別会が開かれ、花束や記念品とともに送り出されても不思議ではありません。
しかし、午後5時。オフィスで数人に事務的な挨拶を済ませると、そのまま静かに会社を後にすることになりました。帰路につきながら、どうしてこうなったのかと考えを巡らせます。
「自業自得か……」
自分のやり方は、間違っていたのかもしれない。そう認めざるを得なかったといいます。
失ったのは「2,500万円」だけではなかった
学生時代から筋金入りの体育会系。営業畑一筋で出世してきた加藤さんは、結果がすべてという価値観の持ち主でした。部下に厳しく接し、数字達成を徹底的に求める。「アメとムチ」というより、“ムチを振るい続ける”タイプだったといいます。
かつては、「加藤さんの厳しさのおかげで成長できた」と語る部下もいました。しかし、時代は変わっていきます。厳しすぎるマネジメントについていけず、若手や中堅社員を中心に他社へ転職。新しく人を入れては辞めていくという状態が恒常化するようになっていました。
それでも、上層部へのアピールが巧みだった加藤さんは、長くポジションを維持できたのです。しかし、天下はとうとう終わりを迎えました。
継続雇用を受け入れていれば、年収500万円前後は確保できる見込みでした。5年間働けば、単純計算で約2,500万円。決して小さな金額ではありません。
また、加藤さんが本当に失ったのは、お金だけではありませんでした。仕事一筋で生きてきた加藤さんにとって、“社会との接点”そのものが突然消えてしまったのです。
ぽっかりとできた5年間の空白。失った収入。それらを埋めるために再就職をするにも、まったく新しい会社にハードルは、“閑職への異動”と同じぐらい高くなるかもしれません。
