肩の荷が下りたあとに訪れた現実
すべての手続きが終わった日の夜、誠一さんは久しぶりに肩の力が抜けた感覚を覚えました。
「これでようやく終わった」
気がかりだった問題を一つ片付けた達成感と安心感。しかし、その感覚は長くは続きませんでした。数週間後、ふとした瞬間に思い出したのは、あの山の中の墓の風景でした。
苔むした石段、子どもの頃に祖父と手をつないで登った記憶、線香の匂い。
「ああ、もう、あの墓はないんだな」
そう気づいたとき、胸の奥にじわっと広がる寂しさを感じたのです。
これまでは、そこに行けば「家族の場所」がありました。けれど合祀された今、同じように向き合える場所はもうありません。単に墓がなくなったというだけではなく、誠一さんが親や祖父母と静かに向き合う“拠り所”が失われたということでもありました。
誠一さん自身と妻も、亡くなったら合祀墓に入ることを決めています。ですが、そのとき、自分の子どもたちには、かつて自分がそうしてきたように、個別に手を合わせられる場所はありません。
また、誠一さんを悩ませたのは、親戚との関係でした。墓じまいから数ヵ月後、法事の席で、父の弟である叔父から「墓をなくすなんて、親や先祖に申し訳ないと思わないのか」と言われたのです。
墓じまいをするにあたり、事前に兄弟や子どもとは話し合って理解も得ていましたが、親戚全体への説明は十分とはいえませんでした。そのため法事の場で思わぬ反発を受け、「伝えたつもりでも、きちんと理解を得なければ意味がなかった」と実感したのです。
墓じまいは「正解」ではなく「選択」
この経験を振り返り、誠一さんは「やらなければよかったとは思いません。ただ、少しの後悔はありますね。もっと丁寧に向き合うべきだったとは感じています」と話しています。
墓じまいは、費用や管理の問題だけではありません。そこには、家族の記憶や価値観、人とのつながりが深く関わっています。
例えば、年間1万5,000円の管理費も、30年で45万円になります。さらに交通費や時間を含めれば、負担は決して小さくありません。一方で、「その場所に行けば思い出せる何か」を失うことの重みは、数字では測れないものです。
墓じまいを検討する際には、次のような考え方が大切です。
まず、「なぜ墓じまいをするのか」にきちんと向き合うこと。費用なのか、距離なのか、それとも後継者の問題なのか。理由が曖昧なまま進めると、後から迷いが生じやすくなります。
次に、親族との共有です。「報告」ではなく「相談」という形で関わることで、感情的な衝突を防ぎやすくなります。
そして、供養の形を具体的にイメージすること。合祀墓なのか個別安置なのかによって、後からの選択肢は大きく変わります。
