※本記事は『江夏の遺言』から本文の一部を抜粋、再編集したものです。

◆ミスターは野球人の太陽だった
ミスターこと長嶋茂雄は、俺にとって敬愛以上のなにものでもない。昭和30、40、50年代に現役でやっていたプロ野球人はみんなそう。それほど長嶋茂雄は皆にとって太陽の存在。俺は、長嶋茂雄のことを“ミスター”と呼んでいる。ミスターは現役時代から「豊、豊」とよく声をかけてくれ、なぜか可愛がってもらえた。
ミスターとの対戦成績は、226打数62安打、本塁打14、打率2割7分4厘、三振54。
その対戦のなかでどれが一番の思い出かと聞かれれば、全部。どれかひとつに絞り込むのは難しい。印象的だったのをあげろといえば、やっぱり初打席だ。
1967年5月31日後楽園球場での巨人戦。村山さんが先発だったのが血行障害により4回より急遽降板する。エースの村山さんが先発している序盤で、ブルペンで投げるピッチャーなど普通いない。たまたま三日前の二八日大洋戦で先発し、散発4安打、11奪三振、プロ入り初完封で158球投げたばかりの俺だけが早めに上がらせてもらおうと思って調整がてらにプルペンで投げていた。
そしたら「よし、江夏いけ」と藤本のおじいちゃんが叫ぶ。それまで巨人戦には一度も投げたことがなかった。おじいちゃんが「江夏はまだ早い」と巨人戦登板を回避させていたのだ。そういった経緯もあって念願の巨人戦初登板は、スクランブル登板だった。
「江夏いけ」と言われたときは、「え、俺?」というより「よっしゃー」という気分になった。なにせ、巨人戦だ。おまけに兄貴分の村山さんが持病で降板となったとなれば、弟分の俺が行くしかないやろーと気持ちを奮い立たせてマウンドに登ったのは覚えている。
◆初対決で心を奪われた瞬間
5回に初対決となった。「ほお〜、これが天下の長嶋茂雄か」
マウンドで初めて対峙すると、ミスターのオーラが包み込むほどの塊となってうわっと押し寄せてくる。ホームだからとかアウェイだからとか関係なく、気合いが入っているときのミスターは全身から炎が滲み出て見える。
「あ、巨人の星や」
瞬時に思った。だからといって怯まなかった。この時点では、ミスターではなくまだ“長嶋茂雄”であり、なんとも思ってなかったからだ。
三日前に完封している自信もあってか、ポンポンとストライクを取ってツーナッシング。
「よっしゃ、三振や」
リズムも球威もよく、怖いもの知らずの俺は胸元のインコースで三振を狙いにいった。よし、と思った瞬間、ミスターが腕を畳みながら体を上手く反転する。
「カキィーン」
金属音にも似た快音が鳴り響き、レフト線に強烈なライナーが飛んでいく。あっという間にフェンスまで到達し、レフトがクッションボールを処理している間、ミスターは二塁ベースへと悠々とスライディング。すぐに立ち上がり、土で汚れたユニフォームをパッパッと手で軽く叩く。普通、快心の当たりを打った打者は塁上でこれ見よがしにピッチャーを睨みつけたりするものだが、ミスターは平然とした顔で俺を見ることなく視線をスタンドにやっている。
いつもなら「くそっ」と悔しがるものだが、俺はただただ見とれていた。
「かっこええなぁ」
心を奪われた瞬間だ。こうなったらもうどうしようもない。俺は、このとき以来ミスターのファンになった。

