◆幻に終わった巨人移籍の真相
実は、阪神退団の騒動時、ミスターも関係していることをあまり知られていない。昭和50年に阪神から放出される際のトレード先が、巨人にほぼ決まりかけていたのだ。広島カープ初優勝“赤ヘルフィーバー”で湧き、ミスターが現役引退後すぐに監督に就任した1年目に巨人が最下位になった年だ。監督1年目のシーズンで巨人史上初の最下位となったことは、ミスタープロ野球として一点の曇りもなく華々しい17年間の現役生活を送った長嶋茂雄にとって唯一の汚点だ。これを払拭するためには是が非でも次のシーズンで圧倒的な勝利でペナントを奪還しなくてはならない。そこで背に腹は変えられぬ強引さで他球団の主力とのトレードをどんどん画策していく。
そしてどこからか、“江夏は阪神を出される”という情報を耳にしたミスターが「江夏をほしい」と漏らしたことで、巨人の広報担当の張江五さんが裏でいろいろと動いてくれた。
はじめ巨人関係者からコンタクトがあったときは、「あの巨人が!?」と正直目を疑った。今まで憎っくき相手として立ち向かっていたチームが俺を欲しがっている……、複雑な心境というより驚きから次第に嬉しさがこみ上げてきた記憶がある。ちょうど阪神のゴタゴタの渦中の真っ只中にいた俺は人間関係に嫌気がさし、もう野球界から足を洗おうとしていた矢先だった。これが他の球団だったら、無碍に断っていただろう。でも、「天下の巨人がこの俺を」と思ったら野球を辞めるつもりだった俺にとって野球の神様からまだ見捨てられてない思いというか、一縷の望みを得た気持ちになったからだ。
◆実は巨人ファンだった江夏豊
巨人はライバルであったが、実は大好きなチームでもあった。もっと言ってしまえば、俺は「巨人ファン」だったといっていい。すでに述べているように、俺はプロに入るまで阪神のことをまったく知らなかった。当時のテレビ中継は巨人戦しかない。幼い頃から「プロ野球といえば巨人」という感覚で育ったことは間違いない。我々の年代で野球をやってきた人間は、口には出さずとも大抵が巨人ファン。なんだかんだで巨人が嫌いだという人もいるかもしれないけれど、切るか切られるかの問題となれば周りに切らしたくない、自分で勝負をつけたいというぐらい大好きよ。この時代にON筆頭に巨人のいい選手たちと勝負ができたことは、何事にも変えられることのない財産。そんな巨人軍への移籍とならば正直胸が踊ったものだ。
何回か関係者と会って条件提示もされて俺はOKを出し、あとは発表を待つばかりだった。史上初の最下位になった巨人再建のためという大義名分はもちろん、個人的には阪神を見返してやりたく、「よし巨人に行ってやってやろう」と沸々と血湧き肉踊っていたところに、思わぬ横槍が入った。トレード発表前に日刊スポーツにすっぱ抜かれたのだ。当時はトレードがマスコミにバレてしまうと破断になるため、結局巨人入りは幻となったわけだ。
【松永多佳倫】
1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て沖縄移住後、ノンフィクションライターに。プロ野球界の重鎮のインタビューをはじめ、スポーツ取材に定評がある。著書に『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。5月15日に江夏豊氏との共著『江夏の遺言』を刊行した。

