※本記事は『江夏の遺言』から本文の一部を抜粋、再編集したものです。

◆「江夏の21球」の裏にあった怒り
俺の広島時代といえば、「江夏の21球」がすぐ脳裏に浮かんでくると思う。
ノーアウト満塁からの21球が異常なほど“伝説”になってしまい、それ以降はどんなピンチであっても“江夏なら絶対に抑えてくれるはずだ”という期待が高まりすぎて、俺にはとてつもない重圧がのしかかった。大げさに聞こえるかもしれないが、自分の野球人生で学んだすべてがあの最終回に集約されていて、人間の良い部分と嫌な部分の両方をあのマウンドで経験した。それほどの場面だったから“やり終えた”という感情よりも、“心底疲れ切っていた”というのが本当のところだ。
4対3の最終回、先頭打者・羽田幸一への初球をセンター前に運ばれたところから始まった。まさか1点差の場面で初球の真っすぐに手を出してくるとは思わず、頭の中がゴチャゴチャになった。次の打者に集中しなくてはならないのに、羽田に打たれたことを反芻しながら投げ、いつの間にかノーアウト満塁のピンチを招いていた。
羽田の初球以上に俺の心をかき乱したのは、ノーアウト満塁でベンチが池谷(公二郎)と北別府(学)をブルペンに送ったことだ。“なんじゃ!”と怒りでブチ切れそうになった。
“最後まで俺を信用して心中しろ”──という理由ではない。古葉さんが延長に備えて投手を準備するのは指揮官として当然の手立てだから、文句はない。だが、大阪球場は室内にもブルペンがあった。“なぜわざわざ外のブルペンに送ったのか、グラウンドでやっている俺に配慮せえや”──と憤ったのだ。
◆「俺も一緒に辞める」親友の覚悟
後日、ブチをはじめとする親しい仲間からは、「お前の性格を知って、古葉さんはわざと見えるように外のブルペンに行かせたに決まっている」と言われた。もしそうだったのなら、古葉さんは相当の策士だ。ブチは「怒りがこもった豊の球は打たれない」と解釈したようだが、日本シリーズ第7戦の最終回、一本でも打たれたらサヨナラで逆転負けの場面だ。マウンドにいる俺の精神状態を第一に考えるのが指揮官の役目だろう。あえて俺の怒りに火を付けようと考えたとしても、悪い方向に出ることもある。一か八かの賭けだ。俺はイラつきが収まらず、ベンチの古葉さんをずっと睨みつけた。なんと、古葉さんも俺を睨み返していた。
ノーアウト満塁で迎えたのは代打・佐々木恭介。前のシーズンでは首位打者を獲得し、この79年シーズンも3割2分を記録していた。
初球は内角低めのカーブが外れてボール。この時、佐々木がちょっと動いた。ストレートだったら平然と見送っていたはずで、佐々木がカーブ狙いだと確信する。そこで2球目はど真ん中の棒球で見逃しのストライク。俺が言うのも何だが、佐々木はこの球を振るべきだった。
次がファウルとなって1ボール2ストライクと追い込んだ時、サードのサチがマウンドに寄ってきて、俺にこう声をかけた。
「お前が辞めるなら、俺も一緒に辞めるから」
この一言で、カッカしていた頭がスーッと落ち着いた。何よりも俺の気持ちを敏感に察してくれたサチの心意気がとてつもなく嬉しかった。
さらにファウルを挟んでからの5球目、インコース低めのストレートを佐々木は見送ってカウントは2-2になる。「江夏の21球」の中で、実はこの5球目こそ俺にとって最高のボールだ。佐々木が見送ったことで、“よし、次のボールで三振だ”と確信できた。

