※本記事は『江夏の遺言』から本文の一部を抜粋、再編集したものです。

◆野村克也と朝まで語った野球論
俺とおっさん(野村克也)は隣同士のマンションに住んでいた。歩いて10秒ほどで目と鼻の先。大阪球場でナイターが終わって帰ってきて、互いに部屋で飯を食ってから必ずおっさんの部屋へ行って朝方まで野球談義をするのが日課だった。おっさんは子ども好きなので、時には俺の部屋に来ては娘を風呂によく入れてくれた。俺は自分の子どもを一度も風呂に入れたことなかったけれど、なぜかおっさんが入れてくれる。娘は佑希子といい「ユッコ、大きくなったらいいもん着さしてもらって、いいもん食わしてもらえよ」と湯船に浸かりながら願いことを叶えるように語りかけていた。ほっといてくれよと思ったものだ。
飯も食って、ひとっ風呂を浴び、おっさんの部屋で試合の検証から始まる。お互いタバコが好きで、俺はショートホープ、おっさんはケント。灰皿はすぐにてんこ盛りとなり、おっさんがせっせと灰を捨てにいったり灰皿を換えたりなどグラウンド以外でも甲斐甲斐しい女房役を見せてくれる。
◆野村克也が予言した「分業化」の時代
ある晩のこと。いつものように灰皿が何回目かの山盛りになったとき空が白々と明けてきた。ちょうどプロ野球の変革的な話題で盛り上がり、熱を込めて話せば話すほど日本のプロ野球の形がどんどん変わっていかなければならないと思えた。73年にメジャーのアメリカン・リーグがDHを採用。投手が打席に立たずに打撃専門の選手をラインナップに並べることで打撃戦の増加を狙ったのである。これに習ってパ・リーグが七五年に採用する。昔だったら打つだけの選手は二流で、打って守って走れるのが一流選手。今はそうじゃなく、打つだけで守れない人がいっぱいいる。反対に打てなくても守りだけの選手もいて、確実に分業化の波が訪れる気配は感じていた。
1977年の時点で野村克也はそういう時代が必ず来るとボソボソと憎まれ口を叩きながらもはっきりと断言する。
「これからの強いチームは分業化されたチームほど勝ち残っていく」

