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STARTO初の“博士アイドル”が誕生! B&ZAI・本髙克樹が選んだアイドルと早稲田大・博士課程の両立

STARTO初の“博士アイドル”が誕生! B&ZAI・本髙克樹が選んだアイドルと早稲田大・博士課程の両立

―[インタビュー連載『エッジな人々』]―

アイドル自らが、多忙を極めるエンタメ業界の最前線に立ちながら、理工学の視点から社会の仕組みを最適化する研究に挑み、博士号を取得。CDデビュー前にして武道館ライブを成功させるなど、歓声に包まれる華やかな舞台の裏で、彼はなぜ研究を続けたのか。STARTO ENTERTAINMENT初の“博士アイドル”誕生の道のりと、壮絶な両立のリアルに迫った。

エッジな人々
本髙克樹(B&ZAI)

◆早稲田大学で最短年数で博士号を取得

 5月10日には初の武道館ライブが実現するなど、まだCDデビュー前ながら人気が高まるグループ(※1)「B&ZAI(バンザイ)」。アイドルとしての活動も多忙な中、本髙克樹は名門・早稲田大学で最短年数で博士号を取得した。取材場所は、学部時代から9年間過ごした早稲田大学の理工(西早稲田)キャンパス。アイドルと博士、二足のわらじを履く苦労はあったのだろうか?

本髙:おー、早稲田懐かしいです! 大隈重信像がある建物には院生専用のラウンジがあるんです。人も少ないので、大学院に入ってからはよくここで勉強していましたね。

――博士課程に入学できても、研究や論文審査の壁に阻まれ、最短の3年で学位を取得できる者は半数ほどと言われています。そん中、博士号を取得したというのは本当にすごいこと。博士課程では、(※2)経営システム工学を専攻されていたんですよね?

本髙:はい、「ライブ・コンサートにおけるチケット不正転売防止を考慮した最適なチケット販売方法」をテーマに研究していました。(※3)チケット不正転売禁止法が施行されてもさまざまなライブで転売不正が横行し、本当にチケットを欲しい人が取れずに悲しんでいるという現状があります。二次流通に需要があるのは確かですが、主催者側が有効な対策を打てていない面があると思います。そこでコンピュータ上で人間や組織の動きを再現し、未来を予測する「社会シミュレーション」という手法を使い、望ましいチケット販売のあり方について、定量的に分析していました。

――ライブや舞台の稽古などもある中で、いつ研究していたんですか?

本髙:休日や公演の合間を活用していました。例えば2時間の舞台が一日2公演あったとします。舞台に立っている時間は計4時間、準備などを含めると計6時間。さらに睡眠や食事で10時間使ったとしても、一日24時間のうち、まだ8時間残る。その時間はフルに研究しまくる、という生活です。

――自分なりに集中する儀式はありましたか?

本髙:「やる」という覚悟だけです(笑)。研究って、勉強とは違う頭の筋肉が必要で、ゴールも見えづらい。それを家でやろうとすれば「今日はしんどいな」となってしまう。だから一日休みがあったら一旦大学に行って研究室にこもり、「成果を出すまでは帰らん」と、自分に課していました。もちろん、ときには趣味の釣りやサッカーにも行ったりと、メリハリはつけていたと思います。


◆「学業に軸足」が定まったのは中学生

――本髙さんは中学1年で芸能活動を始められましたが、中学3年のときには活動を一時お休みし、高校受験の勉強に専念しています。この経験が、現在のマルチタスクをこなす素地になった面はありましたか?

本髙:かなり影響していると思います。入所して1年ちょっとたった頃に、大きなお仕事のオファーをいただいたんです。でも、それを受けたら間違いなく高校受験に集中できなくなると思い、お断りしました。その頃から、「学業に軸足を置く」という方針が自分の中で定まっていたんだと思います。あのとき、受験に手を抜くという選択肢は自分の中ではなかったですね。

エッジな人々
――高校受験で早稲田大学高等学院に合格。その後は、同大創造理工学部経営システム工学科に進学されています。経営システム工学にはもともと興味があったのでしょうか?

本髙:そうですね、数学は得意科目で、「文系に行ってしまうと後から理系は選べないな」と理系を選びました。経営システム工学の専攻に関しては、高校時代の後半に父親から経営系の本をもらってノートによくまとめていたのが大きいです。

――学部卒業後は、そのまま芸能活動の道を突き進むのかと思いきや、修士課程、さらに博士課程に進学されました。博士課程まで進むと研究職の道が色濃くなりますが、進学を決心したのはなぜですか?

本髙:両親が背中を押してくれたことが大きいです。修士2年のときには(※4)日本経営工学会の大会でプレゼンテーションを表彰されたりと、少しずつ成果は出せるようになっていました。ただ、博士号の取得に関してはゼミでお世話になっていた優秀な先輩ですら、苦労しているのを見ていました。それもあり僕自身は正直、自分が博士号を取る未来は見えていなかったんです。初めは「また学費を溶かすのか」くらいに思っていましたが、博士号を持つことの価値は自分自身理解していたので、「じゃあ行ってみるか」となったんです。これが化学系の研究であれば実験のために通学も必要になっていましたが、幸いなことに自分の研究はパソコン一つあれば何とかなった。なので、芸能活動と両立できました。

――早稲田大学理工学術院の場合、博士論文の提出には(※5)査読つき学術誌への論文掲載が必須条件です。実際、博士課程に入った後は学術誌への論文掲載がなかなか決まらず苦しんでいた時期もあったそうですね。

本髙:1年半以上、どこの論文誌にも通らず苦しみました。英語に翻訳したり、日本語で追加実験してボリューム感を出したりといろんなパターンを試したんですけど、全然通らなくて。先が見えないプレッシャーもあり、博士号取得を諦めるか教授に相談したこともありました。

――何が突破口となったのでしょう?

本髙:’25年春、主演舞台(※6)「シークレットライフ」の上演が始まるちょうど前日、国際論文誌に投稿した論文が受理されたことです。「ここの記述を修正しなさい」という条件付きだったので、舞台の合間に追加実験や英語での論文書き直しなどを繰り返しました。思い返すだけでも本当にしんどかったです(笑)。その後、博士論文を書き始め、8月頃から予備審査が始まって。教授陣から「ここのデータはこうじゃないか」と指摘された部分を毎回反映して修正する、というのをひたすら繰り返して、(※7)公聴会や最終審査へ進んでいく、という流れでした。

――博士論文提出まで行くと、芸能活動との両立が危うくなりはしませんでしたか。

本髙:’26年1月末~2月、「ジュニア STAR to FESTIVAL 2026」と公聴会の日程が重なってしまったときは本当に焦りましたね。どうにか公聴会の日程をずらしてもらったものの、B&ZAIの単独ライブツアー「ROCK’N’DOL」の初日も目前に控えていたりと、いろんな重圧がのしかかっていました。だから公聴会が終わっても感慨に浸る余裕なんて全くなかったです(笑)。

――なぜここまで「二足のわらじ」生活を頑張れるのかが不思議です。過去のインタビューでは、「芸能界に染まりすぎるのは怖い」ともお話しされていました。

本髙:「俗世との感覚のズレを起こしたくない」という思いが大きいと思います。華やかに見える仕事も、その土台に裏方の方々の存在があるからこそ成り立っている。その現実をちゃんと心得ておくというのは、表に立つ人間としても絶対に必要ですし、裏側をやるうえでも表を知っているというのは僕の強みになると思っています。

――今回博士号を取得したことで、同じ事務所の後輩たちにはどんな影響を与えられると思いますか?

本髙:これだけ芸能活動をしながらでも博士まで行けるんだから、「自分も頑張ろう」と思ってもらえたら嬉しいですね。物理的に学業と芸能活動を両立できる可能性があると提示できたことには、意味があるかなと思っています。


配信元: 日刊SPA!

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