今世間を騒がせている、読売ジャイアンツ・阿部慎之助前監督の逮捕。
事の発端は、阿部氏の娘2人の姉妹喧嘩にありました。
これを止める際に暴力を振るった阿部氏のふるまいについて、長女がAIに相談したところ、「児童相談所へ通報すべき」と返ってきた。
そこで、AIの言うとおりに通報した結果、警察沙汰になってしまったのだそうです。
ネット上では、様々な意見が飛び交います。
通報したことが悪かったのか。ですが、家庭内暴力に対して、子どもが取れる最大限の対抗手段として、児童相談所はやるべき仕事をしただけに過ぎません。
それに、「自分より体格に恵まれた成人男性に危害を加えられた女性が通報した」ことは至極自然な流れに見えます。誰が悪く言えるでしょうか。
私は、この判断が良かったとも悪かったとも思いません。
判断とは、置かれた状況によって価値が異なってくるものだからです。しかし、「本当に通報という手段の重さを理解していたのか」については疑念が残ります。
AIの出した答えを疑った末の通報なのか、それとも鵜呑みにしての通報なのか。
ここに、今後10年を生き抜く上での必須スキルが隠れているように感じられるのです。今回は「AIの危うさ」について考察します。

◆AIの利用者に求められること
AIは、膨大なデータを学習し、まるで人間が書いたような自然な文章をほんの数秒で生成してくれます。そのスピーディーかつ圧倒的な量の仕事に対しては「もう人間の仕事が奪われる」なんて悲観論も飛び交うほど。
ですが、その本質は「確率的に最もありそうな言葉を繋ぎ合わせているだけ」に過ぎません。
言葉の意味の深い理解も、情報の真偽を確かめるファクトチェックの機能も、善悪の価値判断も伴わない。だからこそ、フェイクニュースでも悪気なく生み出します。
「AIがウソをついたから」「AIが調査をしくじったから」と怒るのは、残念ながら利用者として適切な態度とは言えません。
そもそもこいつらの本質はかなり適当で、非常にそれっぽい答えを、誰よりも早く突き出してくるだけにすぎない。
だからこそ、適当さを見抜き、その答えの危うさを検討する知性と判断力が、ユーザーには求められます。
とはいえ、ここまで述べてきたようなことは、みなさんもきっとご存じでしょう。私だって、このコラムで何度もお伝えしています。
ただ、今回の阿部氏逮捕のニュースは、「AIの答えを検討すべき実例」として、非常に示唆に富んでいるのです。
◆児童相談所への通報の重み
「ふつうは」というと失礼かもしれませんが、18歳女性が「父親に暴力を振るわれた」と通報があれば、それなりの対応が想像できます。例えば、複数人で家庭を訪問して状況を確認しに行くなり、一刻も早く近くのシェルターに誘導するなり、場合によっては、警察に応援を求めることもありうるかもしれません。
「児童相談所への通報」は、かなり強力な切り札に近い手段です。非力で、稼ぎもなく、親に庇護されるべき存在である子どもたちが、その保護者に迫害を受けた場合に、助けを求められるような特別機関なのですから、
そこへの通報は「普通なら親にするべき相談を、親にできないからされている」と考えるべきでしょう。
つまり、この手段を取ったが最後、親子間の対話は不可能であると述べるに等しい。最後通牒を突き付けるようなもの。
非常に強力かつ、後戻りのできない一方通行的なカウンターであり、これを選択するならば、とても追い込まれていると想像できます。
そう、我々は、ある程度モノを知った大人として、「児相に通報なんて、よっぽどなのだろう」と考えられる。
その機関の存在意義も、通報の意味も、それがもたらす余波も、全て想像できるからです。
しかし、AIにはそれができない。「親に危害を加えられた」となれば、「最もあり得そうな答え」として即「児相へ通報」を勧めてきます。
もちろん、通報すべき時も多分にあるでしょう。とはいえ、親子間で対話が必要なケースだって存在するはず。
今回の事件はどちらだったのか真相は闇の中。
ただ、少なくとも「ここまで大ごとになるとは思っていなかったのではないか?」と疑問を抱いてしまうような荒れ方をしているように見えます。

