
◆安定職が招いた小さな油断
「公務員だから、自分だけは大丈夫だと思っていました」自己破産を経験した赤塚文隆さん(仮名・37歳)は、そう言って力なく笑う。
22歳で地方市役所に採用されて以来、赤塚さんは真面目に公務員としてのキャリアを積み上げてきた。安定した職と毎月の給与。世間的な信用も高く、自分の人生が大きく崩れることなど想像もしていなかったという。
転機は、結婚した30歳の頃だった。
家計は妻に任せ、赤塚さんは家賃や光熱費、保育料などの引き落とし分を差し引いた残額を妻に送金する形で生活していた。自由に使えるお金は月3万円の小遣いだけ。妻も働いており、月20万円弱の収入があったため、世帯収入は月50万円弱。家計としての貯蓄も100万円ほどあり、当時は「多少のことがあっても自分たちは大丈夫だろう」と思っていた。
そんな頃、赤塚さんはボートレースのネット投票に手を出した。スマホひとつで舟券が買える手軽さにのめり込み、退勤途中の駅のホームや、布団の中でも指を動かす日が続いた。
最初は1レース1000〜3000円程度。だが、競輪にも手を広げると、こちらはクレジットカードで車券が買える。現金が減らないため、「使っている」という感覚そのものが薄れていったという。
「小遣いの範囲で楽しんでいるつもりが、気づけば全然足りなくなっていました。勝てば取り戻せるし、少額なら大丈夫だろうと、自分に都合よく考えていたんです」
小遣いでは足りなくなると、赤塚さんはカードを増やしていった。すると驚くほどあっさり審査が通る。初回から限度額100万円のカードが複数社で発行され、銀行カードローンは200万円、消費者金融でも150万円の枠が下りた。
「公務員だから絶対に落ちない。その感覚が、自分をどんどんおかしくしていったんだと思います」
最初のうちは、たまに大きく勝つこともあった。1日の最高勝ち額は120万円。その成功体験が、「次も取り返せる」という錯覚を強めた。だが、その一方で、負ける日は一気に負ける。1日で50万円近く溶かしたこともある。それでも赤塚さんは、「次のボーナスで返せばいい」「いざとなれば退職金がある」「大穴を当てれば全部チャラだ」と自分に言い聞かせていた。
◆ 2年で1500万円に膨らんだ借金
借金は、わずか2年ほどで一気に膨らんだ。「家族に知られる前に取り返さなければ」という焦りが、さらに賭け金を吊り上げた。A社から借りてB社に返し、C社の枠が空けばまたB社に回す。そんな自転車操業を繰り返すうちに、借入先はクレジットカード、カードローン、消費者金融、後払いアプリまで合わせて10社に及んだ。気づけば借金総額は約1500万円、毎月の返済額は15万円に達していた。それでも妻にすぐ気づかれなかったのは、赤塚さん自身がいくつもの細工を重ねていたからだ。給与の振込先を複数指定できる制度を使い、返済に必要な金額を自分が管理する別口座に振り込ませる。ボーナスも同じように返済分を先に確保する。さらに「給与明細は電子化された」と嘘をつき、現物を見せない。勝ったときは返済に回し、別の会社から借りて延命する。そうやって、家族だけでなく、自分自身にも「まだ大丈夫だ」と思い込ませていた。
「もうまずい」と赤塚さんが自覚したのは、子どもの保育料が口座残高不足で引き落とせなかった通知を見たときだった。手取り30万円の給料は返済で半分が消え、スマホに表示された残高は「28円」。その数字を見た瞬間、全身の血の気が引いたという。
「帰宅しても妻の顔が見られませんでした。風呂場で湯船に沈んだまま、ただ天井を見ていました。あの時、ようやく終わったと思いました」
ある晩、子どもを寝かしつけた後、赤塚さんはとうとう妻に打ち明けた。
「ギャンブルで借金がある」
「1500万」
妻は泣きも怒りもしなかった。ただ、表情から一切の感情が抜け落ちた、あの“無”の顔が今も忘れられないという。
自己破産の手続きに入ったのは35歳のときだった。市役所も退職した。今振り返ると、最大の誤算は「公務員の信用力」を「自分の稼ぐ力」と勘違いしていたことだったと赤塚さんは話す。
「安定している職業だと思っていたのに、その信用が、逆に借金のハードルを下げてしまいました。借りられることと、返せることはまったく別だったんだと、全部失ってから気づきました」

