◆ヒトES細胞は倫理的な問題が課題になっている

胚とは、受精卵が数回分裂して100個程度の細胞の塊(かたまり)になったものをいいます。
1981年には、胚の内部にある幹細胞を培養して、ES細胞を開発する方法が発見され、世界中から大きな注目を集めました。
発見者は、イギリスのマーティン・エバンス博士らで、マウスの胚から取り出した細胞塊を培養し、多能性を持つES細胞に初期化することに成功したのです。
エバンス博士はこの功績で、2007年にノーベル医学・生理学賞を受賞しています。
それから17年後の1998年には、アメリカのウィスコンシン大学のジェームズ・トムソン教授らが、ヒトES細胞の樹立に成功しました。
このヒトES細胞の発見に先立ち、1996年には、イギリスのロスリン研究所でクローン羊のドリーが誕生しています。
ドリーの誕生には、卵子を提供した羊A(黒い顔)、核を提供した羊B(白い顔)、そして、子宮を提供した羊Cの3頭の羊がかかわっています。
まずAの核を取り除いた卵子にBの成熟した乳腺細胞の核を移植し、これをCの子宮に着床させて育て、生まれたのがドリーです。
ドリーの顔は白く、Bの遺伝情報を引き継いでいました。ドリーの誕生は、成熟した細胞から得られた遺伝情報(核)を使って、その遺伝情報を持つ別の個体(クローン)をつくり出せることを示しました。
このことは、移植用の臓器の新たな供給源として注目されました。
しかし、ヒトES細胞を使った再生医療には、二つの問題があります。
一つは、ヒトES細胞は、不妊治療などで使われずに破棄される胚からつくられることです。
ヒトES細胞からつくられた組織や臓器は、移植を受ける人にとっては自分とは異なる遺伝情報を持った異物ということになり、移植後の拒絶反応の問題がつきまといます。
また、もう一つは、前にもお話ししたように胎児へと成長していく人間の胚に対して人の手を加えることには倫理上の問題を含むことです。
そのため世界的にヒトES細胞の臨床研究や治験には強い規制がかけられています。
◆iPS細胞は皮膚や血液などの成熟細胞からつくり出せる
いよいよiPS細胞についてお話ししましょう。山中教授がiPS細胞を開発する以前から、成熟細胞(機能細胞)を幹細胞に初期化する技術はありました。
1962年に、イギリスのケンブリッジ大学のジョン・ガードン教授が、カエルの成熟細胞を使って幹細胞に初期化できることを、世界で初めて突き止めたのです。
この功績が認められ、ガードン教授は山中教授とともにノーベル医学・生理学賞を共同受賞しています。iPS細胞の再生医療への応用には、二つの優れた点があります。
一つは、人工的に多能性幹細胞をつくり出すことができることです。
そして、もう一つは、皮膚などの成熟細胞を初期化してiPS細胞をつくり出せる、つまり、ヒトES細胞のように人間の胚を使う必要がないことです。
とはいえ、iPS細胞も倫理的問題を抱えています。
ヒトES細胞とは異なり自分の細胞を使うとはいえ、あとでお話しする不妊治療のために、iPS細胞を使って、ヒト生殖細胞をつくり出していいのかという危惧があります。
というのも、iPS細胞を使って正常な精子や卵子などの生殖細胞をつくり出す研究がすでに行われているのです。
マウスによる動物実験には成功しており、不妊治療につながる可能性があるためです。
また、再生医療に求められる安全性という点で、iPS細胞は、そのハードルをクリアしているのかという課題もあります。
【上田実】
医学博士。専門分野は再生医療・顎顔面外科。 1949年生まれ。1982年名古屋大学医学部大学院卒業後、名古屋大学医学部口腔外科学教室入局。同教室講師、助教授を歴任し、1990年よりスウェーデン・イエテボリ大学とスイス・チューリッヒ大学に留学。1994年名古屋大学医学部教授就任、2003年から2008年、東京大学医科学研究所客員教授併任。2011年よりノルウェー・ベルゲン大学客員教授。2015年名古屋大学医学部名誉教授就任。日本再生医療学会顧問、日本炎症再生医学会名誉会員として再生医療の研究と臨床の指導にあたる。株式会社再生医学研究所代表。近著に『改訂版・驚異の再生医療』

