
「仕事が好きでたまらない」という人は、世の中にどれくらいいるのでしょうか。大半の人は、生活のため、あるいは家族を養うために、日々の理不尽やストレスに耐えながら満員電車に揺られているのが現実かもしれません。
毎朝ベッドで葛藤
化学メーカーを60歳で定年退職し、現在は週4日の再雇用制度で働くタカフミさん(仮名/66歳)。若いころから一貫して「仕事は嫌い。一刻も早く辞めたい」と思い続けてきました。毎朝、「今日は休んじゃおうかな」と甘い自分に囁かれつつも、「いや、ダメだダメだ」と、葛藤に勝ち続け、すべては2人の娘を育てあげるため、妻を養うために、ひたすらに耐え忍ぶ会社員人生を送ってきました。
しかし、その娘たちも無事に独立して社会人に。さらに、時を同じくして親からの遺産相続があり、近ごろの歴史的な株高の恩恵も受けたことで、退職金と合わせた資産は総額5,000万円に達しました。
いわゆる「老後2,000万円問題」を遥かにクリアし、経済的なリタイアの条件は完全に整ったはずでした。しかし、念願の「完全自由なリタイア生活」を目前にしたタカフミさんの前には、2歳年下の妻・サトコさん(仮名)という、最大の壁が立ちはだかっていたのです。
タカフミさんは昔から組織の人間関係や数字のプレッシャーが苦手。月曜日が来るたびに憂鬱でした。それでも、妻を支え、2人の我が子に不自由な思いをさせまいと、定年まで愚直に勤め上げました。
定年後、再雇用を選んだのも、当時はまだ大学生だった下の子どもの学費が残っていたからです。
「あのころは『娘たちが社会人になって、まとまったお金ができたら、今度こそ自由になろう』それだけを心の支えにして、嫌な仕事にも頭を下げてきました」
現在の資産5,000万円という数字は、タカフミさんの辛抱の結晶です。
「こんなに貯まった。贅沢をしなければ、もう働かなくていいはずだ」
そう確信したタカフミさんは、ある日の夕食後、妻のサトコさんに「次の契約更新を機に、仕事を完全に辞めてリタイアしたい」と、満を持して切り出しました。
妻が「大反対」、その理由
夫の言葉をじっと聞いていたサトコさんの口から出たのは、意外な一言でした。
「……友達も趣味もないあなたが、いま仕事を辞めて毎日家でなにするの? 一日中動画やテレビをみて過ごすの? そんなことしてたらすぐ認知症になるよ」
サトコさんの反対の理由は、「お金が足りないから」ではなく、夫の「リタイア後の過ごし方」に対する不安と拒絶でした。確かに、これまでのタカフミさんは仕事と家庭の往復を繰り返す日々。会社の付き合い以外での友人はおらず、週末もぼんやりとテレビをみているだけ。これといった趣味もありません。
サトコさんにしてみれば、そんな夫が24時間、毎日自宅にいるようになる恐怖は想像に難くありません。平日の昼間、専業主婦として家庭を守ってきたサトコさんには自身の友人関係や趣味など、日々のルーティンがあります。そこに「なにもすることがない夫」が加われば、家事の負担が増えるだけでなく、お互いのストレスが限界に達するのは目にみえています。さらに、晩年の義父(タカフミさんの父)の認知症の世話をサトコさんが担ったことも、彼女の考えに大きく影響しているのでしょう。
「あなたの健康のためにも、社会との繋がりは絶対に切っちゃダメ。週何日かでもいいから、外に出て働きなさいよ」
サトコさんの正論を前に、タカフミさんはぐうの音も出ませんでした。
